平仮名ばかりで書き下せ!?

漢文の問題で、次のような言い回しを見かけることが少なくない。

(1) 次の文を、平仮名ばかりで書き下しなさい。

書き下すというのは、漢文を日本語文に直すということで、題意としてはその日本語文に漢字を使うなかれ、ということだろう。

しかしここで気になるのが、「ばかり」という言葉の適切性である。

疑問

「平仮名ばかりで書き下せ」の意味とは?

「ばかり」のイメージ

「〇〇ばかり」という言葉からまず思いつくイメージは何だろうか。例えば、

(2) 博物館はおじさんおばさんばかりで、同世代の人は全然いなかったよ。

のように、"〇〇が多い"という意味を表すことがある。他にも、

(3) ただ時間ばかりが過ぎていく。

(4) 二つばかりお借りしますね。

のように、「だけ」「ほど」を表すこともある。

しかし今回、(1)「次の文を、平仮名ばかりで書き下しなさい。」と言われても、あまりピンと来ない。私は最初にこの言い回しを見かけたときは、「『平仮名ばかりで』っていう指定だから、9割方平仮名で書けば、少しは漢字が混じっててもいいのか? 何だこれは?」と思ってしまった。一体、どの意味に当てはまるのだろう。

辞書によると……

結論から言えば、誤解を招きかねない表現かどうかはともかく、間違ってはいない。辞書にも掲載されている歴とした用法だ。

ばかり

〘副助〙 (副詞・体言・活用語の終止形・連体形・助詞などに下接する)
① おおよその程度・範囲を示して、取り立てる。ほど。ぐらい。ころ。
※万葉(8C後)一二・二九四三「我命の長く欲しけく偽をよくする人を執らふ許(ばかり)を」
※源氏(1001‐14頃)紅葉賀「四年(よとせ)ばかりがこのかみにおはすれば」
② 体言・活用語の連体形を受け、限定の意を表わす。ほんの…だけ。…だけ。中古以後の用法。
※古今(905‐914)哀傷・八六〇「露をなどあだなる物と思ひけんわが身も草に置かぬばかりを〈藤原惟幹〉」
※源氏(1001‐14頃)蜻蛉「涙に溺ほれたるばかりをかごとにて」
③ (打消の助動詞「ぬ(ん)」「ない」などに下接して) ②から派生した用法。表面で…しないだけで実質的には…したのも同じということから、今にも…しそうであるの意を表わす。
浄瑠璃・夕霧阿波鳴渡(1712頃)中「今の如く人中で、踏まれぬ斗(ばかり)に恥をかき」
人情本・花筐(1841)五「何卒何卒(どうぞどうぞ)と手を合して、拝まぬばかりに頼みつつ」
④ (過去・完了の助動詞「た」(文語では過去の助動詞「き」の連体形「し」)を伴う動詞に下接して、その動作が完了して間もない意を表わす) …したて。
当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉一「先々月一寸お目に掛った計(バカ)りですから」

(精選版日本国語大辞典, 2021年4月27日閲覧 / 分量の都合から[語誌]を省略)

 なるほど、「ばかり」とは限定を表すそうだ。先程の例で言えば(4)「二つばかり」が①、(3)「時間ばかり」と(1)「平仮名ばかり」が②、と言えそうだ。実際、これらは「ばかり」をそのまま①に則って「ほど」、②に則って「だけ」に言い換えても、意味がすっきり通る。

つまり、(1)「平仮名ばかりで書き下せ」というのは、平仮名の多さ如何を問うているのではなく、「平仮名だけで」という意味だろう、と言える。無事解決。

「ばかり」と多寡

しかし、まだ気になるまいか。「ばかり」とは必ず限定しか表さないのだろうか?

先の例に、(2)「博物館はおじさんおばさんばかりで……」というのを示したが、これは辞書の②(限定)の通りに「博物館にはおじさんおばさんしかおらず……」とは言い換えられない。なぜならば、そう話している私自身は「おじさんおばさん」に該当しないからだ——。というのは詭弁かもしれないが、事実"おじさんおばさんが多くて~"のニュアンスで、限定ではなかろう、と思った読者諸君も多いのではなかろうか。無論、これが①③④の意味でも通じないことは明らかだ。

精選版日国が駄目なら、デジタル大辞泉も参照してみよう。それでも駄目なら、紙の辞書をよっこらしょと引きずり出してくる。

Webでは『精選版日本国語大辞典』がコトバンクなど、『デジタル大辞泉』がWeblioなどで参照できるので両サイトを使った。因みに拙宅には『明鏡国語辞典』、『岩波国語辞典』、『国語大辞典』(小学館)、『広辞苑』などがあるのだが、後ろ二つの重い辞書はなかなか億劫で出し難い。辞書所有の楽しみも一入だが、やはりピンポイントで言葉を探すときは、Web上で楽に閲覧できることに感謝したい。*1

閑話休題、今回は『岩波』→『精選版日国』→『デジタル大辞泉』→『明鏡』の順に引いた。すると、前3つの辞書が概ね上記①~④の意味と同様のことが書いてあった一方、『明鏡』は懇切丁寧に細分化した意味が記されていた。

ばかり〘副助〙

①《数量を表す語について》おおよその程度を表す。「かれこれ一時間ばかりも全された」

②範囲を限定する意を表す。

ア 《体言の直後について》(集団が)単一のものに限られている意を表す。「子供ばかりのグループ」

イ 《体言の直後や、体言+格助詞、動詞+「て」などについて》その事柄の及ぶ範囲が一つに偏っていることを表す。「ずうたいばかりが大きい」

ウ 《「…ばかりだ」の形で活用語の連体形を受けて》物事が偏って生じる意を示す。「文句を言うばかりで、動こうとしない」

(以下③~⑦略)

(『明鏡国語辞典』第二版 / 用例等は一部省略した)

あっ、これ! これですよ!!!

②イの「一つに偏る」。この表現が欲しかったんだなあ。腑に落ちます。あまりに鮮やかに腑に落ちたので特に考察することもなくなってしまいました。*2ありがとう明鏡。*3

現代語において、私が思うに「ばかり」は「だけ」ほど強い意味を持たないと思うのですが、どうでしょうか。方言差なんかもあるのでしょうか。私だけなのかな。

そして、その感覚の差こそが、冒頭に示した「平仮名ばかりで書き下せ」の理解を妨げるのかもしれない——と。成程、奥深い「ばかり」の世界が見えてきましたね。興味は深まるばかりです。

結論

辞書は複数引こう。明鏡国語辞典は良いぞ。

*1:いずれ辞書別の比較記事も書きたいところだ

*2:本当はこの解説文中の「その事柄の及ぶ範囲が」について適切か否かとかも議論しなければいけないのだろうが、今回はひとまず終わり

*3:明鏡国語辞典は初版が21世紀に入ってからという新しい辞典で、基本的に広辞苑を縮刷したような良質でエッセンシャルな見出し語/解説が特徴ですが、口語表現の微妙なニュアンスに根ざした解説が時たま見られるのが特に良いところです。