第一回予想問題 地理

第 一 問

世界の地形と、それに関連した人々の生活について、以下の設問A~Bに答えなさい。解答は、解答用紙の(イ)欄を用い、設問・小問ごとに改行し、設問番号・小問番号をつけて記入しなさい。

設問A

以下はアフリカ諸国の人口についての階級区分図である。これを見て次の(1)から(5)の問いに答えなさい。

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(1) 上図から、人口は河川の経路とも関わりがあることが見てとれる。上図で着色されている国のうち、(a)アフリカ最長の河川の通る国(b)アフリカで二番目に長い河川の通る国を全て挙げなさい。

(2) 図のAの地域の諸国は、国土面積の割に人口が少ないことが見てとれる。その理由を、下記の語句をすべて用いつつ、自然環境の面から2行以内で説明しなさい。語句は何度用いても良いが、使用した箇所には下線を引くこと。

中緯度(亜熱帯)高圧帯 樹林

(3) B国とC国は隣接しており、ともに人口が多い国であるが、この2カ国の代表的作物は異なる。それぞれの国での代表的作物をあげつつ、その背景にある両国の自然条件の差異について2行以内で説明しなさい。

(4) D国は人口が多いが、同時に多民族国家でもある。この国では民族的対立と資源を巡る対立によって、南部のカタンガ州が分離独立を宣言し、内戦に発展した。このカタンガ州で採掘される地下資源として代表的なものを、一つ挙げなさい。(※Dは図中Bと同じ色の国です。追って修正します)

(5)E国には国名と同名の、世界的にも大規模で深い湖が存在し、隣国との国境となっている。この湖の成因について、2行以内で答えなさい。

 

設問B

以下のAからIの文章は、それぞれ世界各地の港について述べたものである。これを読んで、次の問いに答えなさい。


A(34.69N, 135.19E)
山々から湾に至る急峻な地形により天然の良港として知られる。1970年代にはコンテナ取扱量世界1位となっていた。

B(37.45N, 126.70E)
首都の外港として発展した。2002年のサッカーワールドカップ開催に伴って建設された国際空港が有名である。

C(33.90N, 35.50E)
世界で最も古い都市の一つとも言われ、この国の首都である。2020年には爆発事故が発生した。

D(59.93N, 30.36E)
かつて首都が置かれていた都市で、世界最北の百万都市である。不凍港ではなく、冬期は凍結する。

E(51.89N, 4.41E)
愛称の通り、地域一帯の中心的な港である。国際河川の河口部に位置する。

F(6.46N, 3.39E)
かつて首都が置かれていた都市で、現在も国内最大都市の港市である。首都は内戦後に内陸へ移転した。

G(41.35N, 2.17E)
地中海に面した港で、独立運動が盛んな州の州都であり、国内でも第二の都市である。有名な芸術家の建築物群は世界遺産に登録されている。

H(34.58S, 58.37W)
大河川の河口部にあたる首都の都市で、コンテナ船が多く寄港する。北方の隣国の首都へはフェリーも出ている。

I(47.60N, 122.34W)
大陸氷河によって削られた天然の良港で、沖合を暖流が流れ、貿易では日本との関係も深い。この州の最大都市である。

 

(1) 大河川の河口部にあたるEとHの地形について、成因にも触れながら、合わせて3行以内で述べなさい。

(2) Aの港がある地域には、秋から冬にかけて冷たく強い風が吹き下ろす。この局地風の名前を、特に背後にある山脈の名に因んで何というか、答えなさい。

(3) 以下に示したのは、AからIの所在する国のうち5カ国について、人口に占めるキリスト教徒の割合とその宗派別の内訳を示したものである。(ア)、(イ)、(ウ)の国名をそれぞれ(カ)—日本のように答えなさい。

*「正教」はロシア正教ウクライナ正教、ギリシャ正教を含む

**大韓民国の括弧内の内訳については、2005年の韓国統計庁発表による

(二宮書店『データブックオブ・ザ・ワールド2018』による)

 

(4) A港、I港のある両都市は姉妹都市提携を行っているが、これは一つには貿易上の結びつきが大きいことがきっかけとなっている。I港から日本へ輸出されるものとしては、航空機や小麦が大半を占めるが、木材や紙・パルプなどの製品も多い。I港のある州で林業が発達している理由を、自然環境の面から2行以内で述べなさい。

(5) G港がある国では、G港を含む地域以外でも異なる民族による独立運動が盛んであるが、そのことについて、民族の特徴に触れながら2行以内で述べなさい。

 

補遺

設問A

コンゴ民主共和国国勢調査1984年の一回のみしか取られていないそうで、人口の詳細は推計に過ぎず、よくわからないそうです。ただし、他の国の統計を信じるとすれば、コンゴ民主共和国と同じ一億人弱の人口を持つ国は存在しないので、アフリカ全体の国別の人口順位が四位であることは確実だそうです。

他の国の統計を信じるとすれば、と書いたのは、たとえばナイジェリアの人口は盛大に水増しされている、という噂を耳にしたことがあるからです。実際のところはよくわかりませんが……。民族対立の関係で各民族が人口を水増し……とか? いちおう、公式にはアフリカ最大の人口とされていますし、そういうことで行きましょう。まあでも日本だって統計書き換えのおかげでGDPも実質賃金も信用ならないようですからね……

カタンガ州はカッパーベルト地帯なので銅。そしてニッケルの世界的産地だそうです。

設問B

A神戸 B仁川 Cベイルート Dペテルブルグ Fロッテルダム Gラゴス Hブエノスアイレス Iシアトル

ブエノスアイレスモンテビデオのフェリーですって。乗ってみたいですね。フェリーといえばタンガニーカ湖には100年前から現役の船がフェリーで就航しているそうです。夢はありますが、沈没すると文字通り底なしなので生きては帰ってこられなそうで、少し怖いですね。

(ア)USA(イ)レバノン(ウ)ロシア

ロシアよりレバノンのほうがキリスト教徒多いらしいです。まじか。ソ連時代の弾圧の影響は強そうです。レバノンは一応イスラームのほうがぎりぎり過半ですが、シーア派スンナ派もいるので、対立を避けるべく宗派政治なんだとか。たとえばキリスト教徒とムスリムはそれぞれ半数の議席になることが確定しているんです。

 

間違い等あればお教えください。

 

 

 

 

はてなブログ・縦書きのサンプル(『幼年時代』書評)

 私が紹介した縦書きを実際に適用するとどうなるか、サンプルとして、先日書いた書評と同じ文章を貼っておこうと思います。

  *

 谷中のほうに"鮫の歯"という古書店があるが、営業時間は「昼頃から夕暮れまで」という。実に素晴らしい精神性である。江戸以前の人間と同じく、なんと絶対的な時刻でなく、太陽の運動によって「昼」の長さが決まるのだ。内装や雰囲気、本の種類が好みで何度か足を運んだのだが、どうもその気まぐれな営業時間と私の気の向くタイミングが合わない。

 実のところ、私がその店に足を踏み入れたのは、初めて通りかかった一度きりである。

 確かその日は冷たい長雨が降り続いており、凍える道中にふと見つけた明かりが"鮫の歯"だった。店内の懐かしく穏やかな、それでいて影も湛えているような雰囲気の中には、未だカヴァーの掛かっていない時代の岩波文庫が、小綺麗なフィルムに包装されて並んでいた。中でも特に、『或る少女の死まで』という、ドキッとする題名が私の心を惹いた。

 私のおぼろげな文学史の知識で、おそらくこれが室生犀星の自伝的小説であることは覚えていたが、室生犀星の育ちには全く知識がなかった。それどころか、凡そどの世代の人かもあやふやだった。しかしながら、古本というのは一期一会のものである。仮に他所でこの本に出会ったとしても、その本にはきっと小綺麗なフィルムは無いし、おそらく冬の雨の暗い日に感じた輝きもきっと目減りして見えるだろう。——そう逡巡して、購入したのが、二、三年前のことであった。

  *

 あれから何冊の本を読んだか記憶にないが、今夏積ん読を選っていたときに、彼日の感動と共に『或る少女の死まで』と再会した。ささやかな期待とともに頁を開くと、この本を貫く雪国独特の重苦しい空気は、不思議にもあの冬の雨の日と通ずるものがあった。

 他二篇とあった通り、本書は『幼年時代』『性に目覚める頃』『或る少女の死まで』の三作から成るが、順に幼少期、思春期、そして上京後の青年期を著した作品である。特に前二篇は時間的近さもあって内容にも密接な繋がりがあるが、テーマが異なる。本稿では、まず『幼年時代』について書く。

  *

 犀星の複雑な生い立ちが著されている。文章として特段に華があるわけではなく、どちらかというと随筆と伝記の中間のようなもので、淡々と事物が描写されるのだが、その中でちょっとした心の動きがしばしば述べられる。思うに、この構成自体が実に幼年時代らしいと思わされるのは、子どもはなかなか自分の感情を具に語らず、また当の本人にすらよく解っていないからだろうか。

 全体を通して家族の話であるが、その複雑さゆえ飽きることなく入り込んでゆける。生みの母も姉も、結局疎遠になってしまってそれきりのように書かれているのが、名状しがたい感情を掻き立てる。当時まだ幼い筆者には、一度離れてしまった人間とはもう二度と再会しがたいのである。それゆえに、生みの母との別れを悲しみ、過去を懐かしんでいた時期においても、一方で常に「父」や姉との別れを懼れているのが伝わってくる。現に姉は嫁ぎ、父はその先の死を見据えていた。幼少期に苦しい別れを繰り返した筆者の気持ちは想像を絶するが、しかしながら一度別れを経験した人間が、「守り」に入るような人間関係を構築していくことは、少しわかる。

 このような状況下だからこそ筆者は仏教に傾倒した、といえば明快に思えるかもしれない。しかし、作品中で筆者と仏教との出会いは至って自然に、しかもかなり無意識的に行われている。私は(少なくとも信仰心の篤い)仏教徒ではないので、この辺りの思想は想像しがたいのだが、宗教との出会い・信仰心の萌芽とは概ねこのようなものなのだろう、と思った。「父」との静かで素晴らしい関係性も、きっと仏様が導いて下さったのではなかろうか、とすら思わせる力がある。尤も、以後の二篇に彼の仏教的思想はなかなか垣間見えないのであるが——。

 私は一度読んで、三作の中でこの『幼年時代』が一番気に入った。素朴で不器用な少年が、複雑でつらい人間関係の中でも生きていく様子が、読んでいるとどこか懐かしいもののように感じられる。それに、起承転結が無いのが良い。特別な出来事が起こるわけではない生活を、偶々この紙面に収まるからというだけの理由で切り取ったかのようである。ドラマの主人公ではない、自分と同じような一人の人間の人生だからこそ、その表現にははっとさせられるものがあるのだ。

kanchoiki.hatenablog.com

縦書きができたブログ:g.o.a.tのサービス終了

www.goat.at

前に使っていたブログサービスからサービス終了のお知らせが届きました。ちょっとショックです。

というのも、こんな感じ↓で、縦書きが公式に使える、貴重なブログサービスだったのです。

official-jp.goat.me

簡単にポチッと縦書きができ、Wordのような感覚でさくさく入力できたので、なかなか秀逸なサービスではあったのですが……

なんと言ってもおしゃれさ優先でユーザビリティが微妙な点があったのかもしれません。(私は、縦書きの一段の長さが妙に短いのがあまり気に入らなくて変えてしまいました)

縦書きでどうやったらブログができるのか、については今後も考えていきたいですね。

レスポンシブ非対応(スマホでうまく見られない)もので良ければ、こんなやり方もあります↓

kanchoiki.hatenablog.com

 

「意識的または無意識的に」~"Aまたはnot A"の表現~

意識的または無意識的に

「Aまたはnot A」とはつまり"全部"ということなのですが、こういう言い回しが必要になることがままあります。

私がたまに使うのは、「意識的または無意識的に」です。

  • (A)彼は、高校までで学ぶ程度の漢字は、既に小学生の時点で、意識的または無意識的にすべて身につけてしまっていたのだ

という例文などが考えられます。これを別の言い回しにしようとするとなかなか難しいのです。

  • (B)彼は、高校までで学ぶ程度の漢字は、既に小学生の時点ですべて身につけてしまっていたのだ

とすると、凡そ勉強熱心だから学習して身につけた、という印象になるのがわかるでしょうか。(A)での文意は、"一部は自然と身につき、一部は意識的に身に着けた"ということなので、文意が変わってしまったことになります。

似た言い回しとして、「Aであれnot Aであれ」とか「Aであるにせよないにせよ」などという言い方もありますね。

  • (C)彼は、高校までで学ぶ程度の漢字は、既に小学生の時点で、意識的であるにせよないにせよ、すべて身につけてしまっていたのだ

ん~……。なんか違います。これでは語り手が知らないというだけですね。

「Aまたはnot A」とは、一見すると変な、あるいは無駄な言い回しですが、意外にも置き換えのきかない表現に思います。

一部または全部

ほかにも、「一部または全部」というタイプの表現もありますね。

  • (D)費用については、国が事業の一部または全部を補助する

これは「意識的または無意識的に」とは異なって、全体集合を示していません。

先程の例は、元々カテゴリが{意識的/無意識的}と分かれており、言及しなければどちらかであると勝手に解釈されてしまうだろう部分に対して、その両方であることが強調する表現でした。

今、「一部または全部」という表現は、そもそもカテゴリが{なし/一部/全部}と分かれている中、一部と全部の両方であ(りう)ることを示したかったのです。

  • (E)費用については、国が事業の全てを補助しないということはない

(E)の表現は"ない"を否定しているので(D)と同じ部分を指しているのですが、ニュアンスが異なってしまっています。国はかなり消極的で、論理的にはありうるものの、"全部"が補助される可能性についてはほぼ無いと思われそうです。

こういう部分を見るに、言語は論理に基づくが、論理すなわち言語ではないのだ——と再認識させられます。

  • (F)費用については、国が事業の少なくとも一部を補助する

(F)のように、「少なくとも一部」などという言い方もありそうですね。ただ、余計なニュアンスを生みそうなところが気がかりです。(E)同様、マイナスイメージが濃厚です。難しいですね。

まどろっこしい表現にはなりますが、"Aまたはnot A"の形を使うと、ニュアンスの色をつけずに、より正確に意味を伝えることができそうです。

 

メモ:全体集合と「~のほかに」

「ほかに」と「が/も」

先日、少し疑問に思って、次のような構文を考えました。

「Pには、p1のほかに、p2がある」

「Pには、p1のほかに、p2もある」

「Pには、p1,p2のほかに、p3がある」

「Pには、p1,p2のほかに、p3もある」

これらは本来、p1,p2,p3がPという集合に属することしか意味していないので、Pの中にp1-p3以外のものが含まれていても何ら問題はないはずです。しかし、Pの全てがp1-p3であることが要求される場合もあるような気がします。

たとえば、「このクレヨンには、赤、黄のほかに緑がある」と言われたら、「じゃあ青はないのか……」という受け取り方になるのが順当なはずです。もっと極端な例では、「虹には、赤・橙・黄・緑・青のほかに藍がある」というのは限りなく偽の文に近いのではないでしょうか。明らかに紫を忘れているか、あるいは隠しているからです。

条件を考える

うーん、この構文は難しいですね。

では、一般に「AはBのほかにCがある」という文章は、どのような条件下で全要素の列挙になり、またどのような条件下で代表例の例示になるのでしょうか。考えてみましょう。

A,B,Cのそれぞれについて考えうる条件としては、例えば次のようなものがあります。

  • Pの要素が有限か無限か*1
  • Bで挙げられる例が一つか、複数個か
  • (学問的・法的になど)定義されていて絶対的なものか、話者の主観によるものか

今後機会があったら、この問題についてはよく調査してみたいと思います。

参考:アンケート

参考までに、以下に以前とった簡単なアンケートを貼っておきます。

 

*1:無限であれば、「全要素の列挙」はありえないので、「代表例の列挙」になるか、非文かという問題になります

第三回予想問題 国語(文科現文)

第 四 問

次の文章は、堀辰雄の『窓』の全文である。これを読んで、次の問に答えよ。

 

 或る秋の午後、私は、小さな沼がそれを町から完全に隔離してゐる、O夫人の別莊を訪れたのであつた。

 その別莊に達するには、沼のまはりを迂囘してゐる一本の小徑によるほかはないので、その建物が沼に落してゐるその影とともに、たえず私の目の先にありながら、私はなかなかそれに達することが出來なかつた。私が歩きながら何時のまにか夢見心地になつてゐたのは、しかしそのせゐばかりではなく、見棄てられたやうな別莊それ自身の風變りな外見にもよるらしかつた。といふのは、その灰色の小さな建物は、どこからどこまで一面に蔦がからんでゐて、その繁茂の状態から推すと、この家の窓の鎧扉は最近になつて一度も開かれたことがないやうに見えたからである。私は、さういふ家のなかに、數年前からたつた一人きりで、不幸な眼疾を養つてゐるといはれる、美しい未亡人のことを、いくぶん浪漫的に、想像せずにはゐられなかつた。

 さうして私は、(ア)私の突然の訪問と、私の携へてきた用件とが、さういふ夫人の靜かな生活をかき亂すだらうことを恐れたのだつた。私の用件といふのは、——最近、私の恩師であるA氏の遺作展覽會が催されるので、夫人の所有にかかはるところの氏の晩年の作品の一つを是非とも出品して貰はうがためであつた。

 その作品といふのは、それが氏の個人展覽會にはじめて發表された時は、私もそれを一度見ることを得たものであるが、それは難解なものの多い晩年の作品の中でもことに難解なものであつて、その「窓」といふごく簡單な表題にもかかはらず、氏獨特の線と色彩とによる異常なメタフオルのために、そこに描かれてある對象のほとんど何物をも見分けることの出來なかつた作品であつた。しかしそれは、氏のもつとも自ら愛してゐた作品であつて、その晩年私に、自分の繪を理解するための鍵はその中にある、とまで云はれたことがあつた。だが、何時からかその繪の所有者となつてゐたO夫人は、何故かそれを深く祕藏してしまつて、その後われわれの再び見る機會を得なかつたものであつた。そこで、私は今度の氏の遺作展覽會を口實に、それに出品してもらふことの出來ないまでも、せめて一目でもそれを見たいと思つて、この別莊への訪問を思ひ立つたのであつたが。……

 私は漸くその別莊の前まで來ると、ためらひながら、そのベルを押した。

 しかし家の中はしいんとしてゐた。このベルはあまり使はれないので鳴らなくなつてゐるのかしらと思ひながら、それをためすかのやうに、私がもう一度それを押さうとした瞬間、扉は内側から機械仕掛で開かれるやうに、私の前にしづかに開かれた。

 

 夫人に面會することにすら殆んど絶望してゐた私は、私の名刺を通じると、思ひがけなくも容易にそれを許されたのであつた。

 私の案内された一室は、他のどの部屋よりも、一そう薄暗かつた。

 私はその部屋の中に這入つて行きながら、隅の方の椅子から夫人がしづかに立ち上つて私に輕く會釋するのを認めた時には、(イ)私はあやふく夫人が盲目であるのを忘れようとした位であつた。それほど、夫人はこの家の中でなら、何もかも知悉してゐて、ほとんどわれわれと同樣に振舞へるらしく見えたからである。

 夫人は私に椅子の一つをすすめ、それに私の腰を下したのを知ると、ほとんど唐突と思はれるくらゐ、A氏に關するさまざまな質問を、次から次へと私に發するのだつた。

 私は勿論、よろこんで自分の知つてゐる限りのことを彼女に答へた。

 のみならず、私は夫人に氣に入らうとするのあまり、夫人の質問を待たうとせずに、私だけの知つてゐるA氏の祕密まで、いくつとなく洩らした位であつた。たとへば、かういふことまでも私は夫人に話したのである。――私はA氏とともに、第何囘かのフランス美術展覽會にセザンヌの繪を見に行つたことがあつた。私達はしばらくその繪の前から離れられずにゐたが、その時あたりに人氣のないのを見すますと、いきなり氏はその繪に近づいて行つて、自分の小指を脣で濡らしながら、それでもつてその繪の一部をしきりに擦つてゐた。

 私が思はずそれから不吉な豫感を感じて、そつと近づいて行くと、氏はその緑色になつた小指を私に見せながら、「かうでもしなければ、この色はとても盜めないよ」と低い聲でささやいたのであつた。……

 私はさういふ話をしながら、A氏について異常な好奇心を持つてゐるらしいこの夫人が、いつか私にも或る特別な感情を持ち出してゐるらしいことを見逃さなかつた。

 そのうちに私達の話題は、夫人の所有してゐる氏の作品の上に落ちて行つた。

 私は、さつきから待ちに待つてゐたこの機會をすばやく捕へるが早いか、私の用件を切り出したのである。

 するとそれに對して彼女の答へたことはかうであつた。

「あの繪はもうA氏の繪として、世間の人々にお見せすることは出來ないのです。たとへそれをお見せしたところで、誰もそれを本物として取扱つてはくれないでせう。何故と云ひますと、あの繪はもう、それが數年前に持つてゐたとほりの姿を持つてゐないからです」

 彼女の云ふことは私にはすぐ理解されなかつた。私は、ことによるとこの夫人は氣の毒なことにすこし氣が變になつてゐるのかも知れないと考へ出した位であつた。

「あなたは數年前のあの繪をよく憶えていらつしやいますか?」と彼女が云つた。

「よく憶えてゐます。」

「それなら、あれを一度お見せさへしたら……」

 夫人はしばらく何か躊躇してゐるやうに見えた。やがて彼女は云つた。

「……よろしうございます。私はそれをあなたにお見せいたします。私はそれを私だけの祕密として置きたかつたのですけれども。——私はいま、このやうに眼を病んで居ります。ですから、私がまだこんなに眼の惡くなかつた數年前にそれを見た時と、この繪がどんなに變つてゐるかを、私はただ私の心で感じてゐるのに過ぎません。私はさういふ自分の感じの正確なことを信じて居りますが、あなたにそれをお見せして、一度それをあなたにも確かめていただきたうございます。」

 そして夫人は、私を促すやうに立ち上つた。私はうす暗い廊下から廊下へと、私の方がかへつて眼が見えないかのやうに、夫人の跡について行つた。

 急に夫人は立ち止つた。そして私は、夫人と私とがA氏の繪の前に立つてゐることに氣づいた。その繪はどこから來るのか、不思議な、何とも云へず神祕な光線のなかに、その内廊だか、部屋だかわからないやうな場所の、宙に浮いてゐるやうに見えた。——といふよりも、(ウ)文字通り、そのうす暗い場所にひらかれてゐる唯一の「窓」であつた! そしてそれの帶びてゐるこの世ならぬ光りは、その繪自身から發せられてゐるもののやうであつた。或ひはその窓をとほして一つの超自然界から這入つてくる光線のやうであつた。——と同時に、それはまた、私のかたはらに居る夫人のその繪に對する鋭い感受性が私の心にまで傳播してくるためのやうにも思はれた。

 その上、私をもつと驚かせたのは、その超自然的な、光線のなかに、數年前私の見た時にはまつたく氣づかなかつたところの、A氏の青白い顏がくつきりと浮び出してゐることだつた。それをいま初めて發見する私の驚きかたといふものはなかつた。私の心臟ははげしく打つた。

 けれども私には、數年前のこの繪に、さういふものが描かれてあつたとは、どうしても信ずることが出來なかつた。

「あつ、A氏の顏が!」と私は思はず叫んだ。

「あなたにもそれがお見えになりますか?」

「ええ確かに見えます。」

 そこの薄明にいつしか慣れてきた私の眼は、その時夫人の顏の上に何ともいへぬ輝かしい色の漂つたのを認めた。

 私は再び私の視線をその繪の上に移しながら、この驚くべき變化、一つの奇蹟について考へ出した。それがこのやうに描きかへられたのでないことはこの夫人を信用すればいい。よしまた描きかへられたのにせよ、それはむしろ私達がいま見てゐるものの上に、更に線や色彩を加へられたものが數年前に私達が展覽會で見たものであつて、それが年月の流れによつて變色か何かして、その以前の下繪がおのづから現はれてきたものと云はなければならない。さういふ例は今までにも少くはない。例へばチントレツトの壁畫などがさうであつた。

 ——だが、それにしては、この繪の場合は、あまりに、日數が少なすぎる。數年の間にそのやうな變化が果して起り得るものかどうかは疑はしい。さうだとすると、それは丁度現在のやうに、夫人の驚くべき共感性によつてこの繪の置かれてある唯一の距離、唯一の照明のみが、その他のいかなる距離と照明においても見ることを得ない部分を、私達に見せてゐるのであらうか?

 さういふことを考へてゐるうちに、私にふと、A氏はかつてこの夫人を深く愛してゐたことがあるのではないか、そして夫人もまたそれをひそかに受け容れてゐたのではないか、といふ疑ひがだんだん萠して來た。

 (エ)それから私は深い感動をもつて、私の前のA氏の傑作と、それに見入つてゐるごとく思はれるO夫人の病める眼とを、かはるがはる眺めたのである

 

セザンヌ——ポール・セザンヌ。フランスの画家。

○チントレツト——ティントレット。イタリアのルネサンス期の画家。

 

設 問

㈠「私の突然の訪問と、私の携へてきた用件とが、さういふ夫人の靜かな生活をかき亂すだらうことを恐れた」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。

㈡「私はあやふく夫人が盲目であるのを忘れようとした位であつた」(傍線部イ)とあるが、なぜか、説明せよ。

㈢「文字通り、そのうす暗い場所にひらかれてゐる唯一の『窓』であつた」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

㈣「それから私は深い感動をもつて、私の前のA氏の傑作と、それに見入つてゐるごとく思はれるO夫人の病める眼とを、かはるがはる眺めたのである」(傍線部エ)にあらわれた作者の心情について説明せよ。

 

問題文画像

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補遺

青空文庫に拠ります。

作問が難しいです。文章のチョイスから線の引き方に至るまで、細かい配慮がなされているのだなと実感しました。殊に心情を訊く問題は難しいですね。

㈢については、絵画のタイトルが『窓』であると文章の前半部で言及されているので、それを失念しているとやや見当外れな答案になるやもしれません。

少し調べてみればこの「A氏」や「夫人」が誰をモデルとしているかはわかるのですが、そういうことを知らないで読むのもまた良いものだと思います。