日本共産党結党百年の変遷を調べてみる

とある科目のとあるレポート課題で、こういうテーマでレポートを書くことにしたのですが、思ったより力の籠もったものになってしまったので、せっかくだからブログにでも少し発表しておこう、と思って載せます。それ以上でもそれ以下でもない記事です。

なお、なるべく中立的立場で書くよう心がけています。あと、読んでいればわかると思いますが党関係者ではないので、理解が浅かったり違ったりすると思いますがご了承ください。

 

ざっくりとした日本共産党の歴史

まず、日本共産党は1922年に結党され、コミンテルンに加盟しますが、1924年に解党。1926年に再結党され、以降コミンテルンの下で活動しますが、特高によるスパイ事件など厳しい取り締まりの対象となり、戦争が激化するころにはほとんど国内組織は瓦解していたようです。1945年に晴れて合法政党として再出発し、1946年には帝国議会で「日本人民共和国憲法草案」などを提出しています。「1947年行動綱領」などでは平和革命論が掲げられているらしいです。1950-60年代は中ソ対立~文化大革命の時代であり、党内でもそれらを巡って路線対立があってややこしいのでパスするとします。「1951年綱領」では暴力革命不可避論が唱えられたそうですが、その後も何度か党内の政治的・理論的対立があり、党からの独立・除名なども相次いだようです。1950年代には一部がテロリズムに走り、逮捕者も多く出ました。この件について日本共産党は公式には「分派の行動」だとしていますが、この公式見解に反発する声もまた存在します。

ともあれその中で発表された「1961年綱領」とそこで掲げた「自主独立路線」がベースとなって現在の日本共産党はあるそうです。その後も、たとえば2000年の第22回大会では”過渡期における”自衛隊の容認がなされるなど、何度か方針の転換点はあるようです。

資料編

あとは使った資料をベタ貼りするだけにしておきます。

…この人民的民主主義体制だけが帝国主義者のくはだてる専制抑圧政治の復活と侵略戦争への野望とを防止し、…(『日本人民共和国憲法草案』全文)
日本人民共和国はすべての平和愛好諸国と緊密に協力し、民主主義的国際平和機構に参加し、どんな侵略戦争をも支持せず、またこれに参加しない。(同、第五条)

更に當草案(注: 日本国憲法草案のこと)は戰爭一般の抛棄を規定して居ります、之に對して共産黨は他國との戰爭の抛棄のみを規定することを要求しました、更に他國間の戰爭に絶對に參加しないことを明記することも要求しましたが、是等の要求は否定されました、此の問題は我が國と民族の將來に取つて極めて重要な問題であります、… 如何なる國際紛爭にも日本は絶對に參加しないと云ふ立場を堅持することである、之に付ては自由黨の北君も本會議の劈頭に於て申されました、中立を絶對に守ると云ふこと、即ち我が政府は一國に偏して他國を拜すると云ふが如き態度を執らず、總ての善隣國と平等に親善關係を結ぶと云ふことであります(「第90回帝国議会 衆議院 本会議 第35号 昭和21年8月24日」より、野坂参三議員(日本共産党))

日本共産党は、1961年第8回党大会で党綱領を採択して以来、一貫してこの見地から自由と民主主義の擁護、発展を最大の特質とする日本の社会進歩の方向を主張し、それを具体化した諸政策を積極的に探求し、提起してきた。(「自由と民主主義の宣言」1976年、1996年一部改訂)

独立・中立を宣言した日本が、諸外国とほんとうの友好関係をむすび、道理ある外交によって世界平和に貢献するならば、わが国が常備軍によらず安全を確保することが、二十一世紀には可能になるというのが、わが党の展望であり、目標である。…そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。(日本共産党第22回大会決議より)

そして今日、7月15日は記念すべき創立100年の節目の日でもあり(恐らく投稿は7月16日の零時台にずれ込むのですが)、志位和夫委員長は談話を発表しました。

簡潔にまとめられた文章ですが、少なくとも上記の略史や資料に対しての、現在の日本共産党の公式見解、いわば「正史」としては非常にわかりやすい文章であると思います。

www.jcp.or.jp

 

最後に

個人的に注目したのは1945-47年にかけての日本共産党の立場です。自由党吉田茂戦争放棄を掲げた現行憲法案を出したのに対し、日本共産党野坂参三は中立&自衛のための軍備を掲げました。これには意外に思う方もいるのではないでしょうか。吉田茂の提案は、アメリカまたはGHQによる支配や庇護を前提にしたものであり、ここで日本が戦争放棄を訴えても、「アメリカ側につく」ことには変わりなかったわけです。なるほど両案のどちらがより「平和憲法」なのかはなかなか決めがたいのかもしれません。

そしてもうひとつ、日本人民共和国憲法草案においては、「民主主義的国際平和機構に参加し」とありました。これが意外とミソなのかなと思っています。ちょっとリベラリズムっぽいような。

2000年に自衛隊への態度を明確にしたときの第22回決議においては、「21世紀においては」と曖昧にしか書かれておらず、その対話による平和外交の実現の前提に「民主主義的国際平和機構」があるか否かは不明瞭です。少なくとも現状の国際連合はその理想的な「民主主義的国際平和機構」からは程遠いのであろうとは思います。

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平和への希望をもって語られた21世紀でしたが、まもなくその1/4が終わろうとしつつある今、現実世界はどうなっていくのでしょうか。外交について、国防について、今日も様々な政党が様々な政策を打ち出しますが、その全てはあくまで切実に自国および世界の平和を祈念してのものであってほしいと、せめて願うばかりです。