終しまい→お終い

「終わる」「終る」はオワルと読み、「終に」はツイニと読むのは言うまでもないが、「終う」と書けばシマウという読みがある。
平易な漢字ではあるが、「終う」の方は見かける頻度もあってか、どうやら定着度が低いようである。
先達て、「終しまい」という誤記を見た。元を辿れば「御」+「終い」であるから明らかに誤りであるし、「終」にシが続く読みは存在しないのであるが、どうも「終わり」からの類推で「終」をオに使いたくなってしまうようである。Twitterで検索をかけると、この誤記の例が出てくるが、決して少なくない数である。変換できないにも関わらず。きっと彼らはキーボードの"無能"に苛立っているに違いない。
しかし、こう書きたくなる気持ちは十二分に解る。「終い」を使うのは、せいぜい"結局"のニュアンスで「終いには……」と綴るときぐらいのものではなかろうか。かくいう私も語源に立ち戻って考えるまで、誤記か否かで少々迷った。

お+和語で敬語化する際、和語が平仮名で終わるものだと、平仮名で漢字を挟む形になるのが、少し気になる。「お便り」「お気持ち」「お断り」などなど。このあたりはいっそ「御」を使って「御便り」「御気持ち」「御断り」などと書いたほうが快い気もするが、これはこれで漢語の「御便」+「り」のような異分析を招きそうだ。問題の「お終い」を「御終い」と書いてみたところで、読みづらさはそう変わりない。むむむ。

そういえば、別の日には"(一緒に)ついてくる"という意味で「着いてくる」という誤記も目にしたが、正しい「付いてくる」という表記もあまりピンと来ない。「付」では接着のイメージが強く、人が付き従って来るのを「付」と表すのにはなかなか慣れない。
ありふれた結論とはなるが、やはり漢字がよくわからないときは平仮名で書くに限るだろう。