付読点法の検討-0 「くぎり符号の使ひ方」を読む
句読点法のうごき
前回、読点の付け方について、文法的に一定の規則に基づいた一種のガイドラインを作ることで、書くことの助けとしたいと述べました。実は、読点の規則について考えたのは何も私が最初ではありません。
戦後、国語改革真っ只中の日本においては、主に文字改革(漢字の使用制限・新字体の導入*1)や新仮名遣い化による言文一致などが唱えられていましたが、この中で句読点などの符号全般についても規則化しようという流れがあったそうです。*2
これが、下に示す「くぎり符号の使ひ方」(文部省国語調査室編集、1946)です。
*原本については、上記のタイトルで検索すれば多くのPDFがみられますが、ここでは信頼できるものとして国立国会図書館のデジタルデータベースのリンクを貼っておきます。
さて、これは例文等も多く、読むと読点の部分だけで一苦労ですから、簡単に内容を下に箇条書きでまとめてみました。注意してはおりますが、大胆に短い言葉でまとめたので、不正確な部分が無いとは限りませんから、必ず原典も合わせてご確認ください
「くぎり符号の使ひ方」より「テン」をざっくりまとめ
一、文の中止
二、終止の形を取っていても文が続く場合
三、副詞的語句の前後(副詞的語句=接続詞・感嘆詞・呼びかけ等含む)(口調の上で余分なものは消す)
四、形容詞的語句が重なる場合(三を援用)
五、〃(第一の形容詞の下のみでもよい)
六、語や意味の附着で誤読を招く場合
七、読みの間(例はオノマトペ:「かん、かん、かん」)
八、提示した語の下(主題提示である:「秋祭、それは〜」)
九、中黒と同様(但し、読点でなくては読みづらい例アリ:「天地の公道、人倫の常経」)
十、対話・引用文の鉤括弧の前
十一、対話・引用文を「と」で受けた直後(「と言って/思って」などは打たない。下に主格や他の語が来る場合に打つ)
十二、並列の「と」や「も」(必要な場合に限る)
十三、数字の位取り
感想
なるほど~~~と思わされる部分がままありますね。八の主題提示や、九の括弧内など、気付かされる部分の多いものでした。
しかしながら、曖昧な部分は多いものです。勿論、読点の打ち方は根本的には自由ですから、細々とルール化はできないのですが、それでも執筆のガイドラインに足る程度の目安は提示できる規則が用意してみたいですね。
また、これは個人的趣味なのかもしれませんが、三・四の「余分な読点は消す」スタイルがどうも腑に落ちません。自分が読点を打つときはいわば"加点法"でつけているので、"減点法"を推奨されても……と言った感があります。
加えて、三の「副詞的語句」という言葉の示す広さにも着目したいところです。これは次回扱う予定である従属文さえも含まれているもので、とにかく広い範囲を指し示しすぎてはいないでしょうか。この「副詞的語句」と今回は一括りにされた部分についても、細分化を(もしかしたら無意味な行いなのかもしれませんが)試みたいと思います。
付読点法の検討-1 重文・並列(等位接続)
付読点法を作りたい
かねてよりやりたいと思っていたのが、読点のふり方についてある程度のガイドラインを設けることです。自分の頭の中ではぼんやりとした規則が存在するのですが、しかし付読点法の悪さ故の読みづらい文章に対して、斯く直すべしと提示するだけの確固たるものではありませんでした。世間には読点のふり方で損をしている文章がかなり多くあります(と私は思います)。文法的知識なども活かしつつ、書く人の支えとなる指針が示せればと思います。
※ここでは付読点法についてのみ扱うので、文法的に厳密ではないことを使う場合もあります。ご了承ください。
※読点の振り方は自由なので、以下に書くことは全て※個人の感想です。
重文とは
今回はまず、重文について検討したいと思います。これは英語などで言うところの等位接続にあたる関係で、"S V and S V"や"S V but S V"など、2つの文から1つの文が構成されている文を重文と言います。また、等位接続絡みで、名詞(句)などの並列関係についても扱います。*1
例文と検討:重文(連用形または接続助詞「て」)
- 1. 私は高校生で弟は中学生だ。
- 2. 私は走り弟は歩いた。
- 3. 私はテレビを見て弟は漫画を読んだ。
【所感】これは特に疑問に思うところもないでしょう。うるさくならない程度であれば、重文の区切れ目に読点を付すのが良いでしょう。
- 1. 私は高校生で、弟は中学生だ。
- 2. 私は走り、弟は歩いた。
- 3. 私はテレビを見て、弟は漫画を読んだ。
例文と検討:重文・重複文(その他)
- 4. 私はオレンジジュースを弟はリンゴジュースを買った。
- 5. 私はオレンジジュースを飲み弟は持ち帰った。
【所感】4.については見づらいので、並列部分に読点を付すと良いでしょう。これは重複文というやつで、動詞が共有された形で主述関係が2つ収まっています。
5.は目的語が重複を避けて省略されていますが、実態はシンプルな重文と同じですから、これも文の切れ目に付しましょう。
- 4. 私はオレンジジュースを、弟はリンゴジュースを買った。
- 5. 私はオレンジジュースを飲み、弟は持ち帰った。
例文と検討:並列
- 6. 私は走ったり歩いたりした。
- 7. 私はそのぬいぐるみを抱いたり投げたりした。
- 8. 私はテレビを見たり漫画を読んだりした。
- 9. 私はオレンジジュースとリンゴジュースを買った。
【所感】6.は自動詞の並列になっていますが、これは特に長くなければ敢えて付すこともないでしょう。むしろ、主述関係が切断されて見えてしまうかもしれません( 「私は走ったり、歩いたりした」)。
7.は目的語を共有する他動詞が並列していますが、これも敢えて付すこともないでしょう。目的語関係が切れて見えそうです(「私はそのぬいぐるみを抱いたり、投げたりした」)。
むしろ目的語の直後に読点を付して、以降の並列を明示するのも手かもしれません(「私はそのぬいぐるみを、抱いたり投げたりした。」)。
これでは気持ち悪いので、文法的に対称になるように*2、「は」の直後にも打ってみましょうか。
8.は他動詞の並列なので、これは長いですし読点で切っても良いのではないでしょうか。
9.は動詞を共有する目的語の並列です。これは「と」の直後に下手に読点を置くと、並列が切断されて見えてしまうかもしれませんから、やめましょう(「私はオレンジジュースと、リンゴジュースを買った」)。
むしろ7.の戦略同様、「は」の後ろに読点を付すのはどうでしょうか(「私は、オレンジジュースとリンゴジュースを買った」)。
こちらは動詞部分が短いので、「を」直後の読点はやめたほうが良いでしょう。
- 6. 私は走ったり歩いたりした。
- 7. 私は(、)そのぬいぐるみを(、)抱いたり投げたりした。
- 8. 私はテレビを見たり、漫画を読んだりした。
- 9. 私は(、)オレンジジュースとリンゴジュースを買った。
例文と検討:3個以上の並列
- 10. 私はりんご(と)みかん(と)いちごを買った。
英語だったら原則A, B, and Cと決まっていますが、日本語だとどれが原則ということもなさそうですね。読点以外に中黒を使う勢力もいそうです。
「と」連続は避けたいですが、とりあえず考えられるパターンを列挙してみましょう。
- りんごとみかん、いちごを
- りんごと、みかん、いちごを
- りんご、みかんといちごを
- りんご、みかんそして苺を
- りんご、みかん、そしていちごを
もしかしたら漢字だと変わりますかね?
- 林檎と蜜柑、苺を
- 林檎と蜜柑、苺を
- 林檎、蜜柑と苺を
- 林檎、蜜柑そして苺を
- 林檎、蜜柑、そして苺を
ぐだぐだ列挙しましたが、単なる名詞の並列であれば、ここは中黒の優勝だと思うんですよね。個人的には。
- りんご・みかん・いちごを
- 林檎・蜜柑・苺を
ということで、次の通りに。
- 10. 私はりんご・みかん・いちごを買った。
まとめ
各節がある程度短い場合について、
重文:文の区切れ目に付点。
重複文:並列部に付点。
自動詞並列:付点しない。
他動詞並列(①OV1V2 ②O1V1O2V2 ③O1O2V)
①:(、)O(、)V1V2
②O1V1、O2V2
③(、)O1O2V
3個以上の並列(名詞):中黒を使う。
というのが良いのではないでしょうか。違和感などあればお教えください。
長くなった場合についてはまた今後検討します。次は複文(従属接続)や副詞について検討しようと思います。では。
第三回予想問題 世界史
世 界 史
第 一 問
2021年、アラブの春と呼ばれる一連の民主化運動の発生から十年の節目を迎えた。もともと数十年にわたる長期独裁政権が支配していたこの地域では、民主化が成功した国も失敗した国も、十年経ってなお政治的・社会的混乱が続いている。イランやアラビア半島にも広がる広いイスラーム圏を考えると、いずれの地域も19世紀前半まではイスラーム帝国の支配下で安定していたが、急速に近代化・世界の一体化が進む中で、様々な勢力が進出・台頭し、抗争を繰り広げた結果、現在の国境線が形成されてきた。
以上のことを踏まえて、19世紀中葉から20世紀後半までの、トルコ以北とアフガニスタンを除く西アジア諸国と、アルジェリア以東の北アフリカ地中海岸諸国(下の地図-1の範囲)の歴史を、支配者層の変遷と、各国間の対立関係に注目して概観しなさい。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述しなさい。その際、下の8つの語句を必ず一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。
第四共和政 ホメイニ サダト暗殺 キレナイカ
シャルル10世 FLN(民族解放戦線) 白色革命 アラブ連合
第 二 問
古来、支配民族と被支配民族は、その民族の差が原因で対立を繰り返してきた。その中で安定した支配の構築のために、対立を避けて同化したり、ある程度の自治を認めたりする動きも見られた。歴史上の支配民族と被支配民族の関係性について、次の(1)〜(3)の問に答えなさい。
(1)ヨーロッパの成立過程においては、様々な民族の侵入や支配が繰り返されたが、支配側と被支配側の人々の宗教や文化の違いによって、支配は必ずしも安定したものとは限らなかった。ヨーロッパの成立過程における、支配民族と被支配民族の関係について、以下の(a)、(b)の問に答えなさい。
(a)4世紀後半に移動を開始した西ゴート族が立てた西ゴート王国は、6世紀にはイベリア半島の国家となっていた。このころ、西ゴート王レカルド1世は、アタナシウス派への改宗を行い、都トレドはイベリア半島のキリスト教文化の中心地として発展する。この改宗の目的として考えられるところを、支配民族と被支配民族の関係性に着目して2行以内で答えなさい。
(b)英仏海峡で大陸部から隔てられた大ブリテン島は、その立地によりナポレオンやヒトラーによる征服を受けていない。しかし中世以前のイングランドは、海を超えてきた異民族により度々襲来を受けている。8世紀から11世紀にかけての、イングランドが征服されるまでの過程を2行以内で述べなさい。
(2)バルカン半島のスラブ人はおよそ東ローマ帝国やオスマン帝国により長期的な支配を受けていたが、その中でもブルガリアは、数度に渡り自立を宣言し、時に広大な領域を誇った。しかし現在はスラブ国家であるブルガリアは、もとを辿ればトルコ系遊牧民ブルガール人が侵入し、現地のスラブ人と同化したものであった。ブルガリアについて、以下の(a)〜(c)の問に答えなさい。
(a)第一次ブルガリア帝国は、侵入したブルガール人が東ローマ皇帝と和平を結んだことで成立し、681年から1018年まで存在したが、のちに東ローマ帝国に再征服された。領域内にキリスト教徒をも多く抱えるようになったブルガリアは、シメオン1世の時代に皇帝を自称しはじめた。第一次ブルガリア帝国で発明されたものとして名高いのがキリル文字である。この時代にブルガリアでキリル文字が発明された目的と、キリル文字の広がりについて、2行以内で述べなさい。
(b)12世紀に東ローマ帝国が衰退すると、ブルガリア王アセン1世は再び独立して、第二次ブルガリア王国を建国した。この王国はやがてモンゴルの圧迫で衰退し、バルカン半島に進出してきたオスマン帝国に敗退すると、東ローマ帝国より早くに滅亡し、以後数百年に渡り支配下に入ることになる。しかし独立から間もない13世紀初頭には、ラテン帝国に勝利を収め、バルカン半島で最有力となっていた。このラテン帝国の成立の経緯について、1200年以降の範囲で、2行以内で答えなさい。
(c)青年トルコ革命に乗じて独立を宣言した第三次ブルガリア王国は、第二次バルカン戦争や第一次大戦の敗戦で領土を縮小した。また、第二次大戦で枢軸国側につくと、ソ連の侵入後、パルチザンと社会主義勢力が権力を掌握し、やがて王政は廃止された。
第一次大戦で敗戦した際、ブルガリアがギリシア・ユーゴスラビアへ領土移譲を約束した講和条約の名前を答えなさい。
(3)アメリカ合衆国は、その成立過程から、旧宗主国と旧植民地、先住民と白人と黒人、そして移民など、複雑な関係を内包している。アメリカ合衆国における対立の歴史について、以下の(a)〜(c)の問に答えなさい。
(a)中立を表明していたはずのイギリスが米仏間の貿易妨害したことで、1812年、米英戦争が開戦した。旧宗主国との戦争はアメリカの国民意識を高揚させ、またイギリス製品の輸入停止によりアメリカの経済的自立と産業革命を促したが、この戦争はアメリカ以外の地域にも大きな影響を及ぼした。米英戦争がインドにおけるイギリス支配に及ぼした影響について、2行以内で述べなさい。
(b)米英戦争の英雄から大統領に就任したジャクソンは、初の西部出身の大統領であり、ジャクソニアン=デモクラシーとしても知られる民主的な政策で民主主義を進展させたが、一方で先住民には苛烈な扱いをした。1830年に定められた、西部開拓のためのこの法律の名前を答えなさい。
(c)アメリカ最大の内戦である南北戦争は、南北の主導権争いがきっかけで勃発したといえる。共和党のリンカンが合衆国大統領に当選した後に11州が独立してアメリカ連合国と名乗ったことが、最終的には開戦に繋がった。南北戦争勃発の背景について、南部と北部の立場の違いを踏まえて3行以内で述べなさい。
第 三 問
島は、地理的に隔てられた立地のために、大陸とは異なる独自の文化を発達させた。また、島はときに海上交易の要所として機能し、交易のために集まる人やものの影響で文化の融合が生じることもあったほか、逆に島の文化が他の地域に影響を与えることもあった。
次に示した地図-2の(1)〜(10)は、それぞれ下の設問(1)〜(10)に対応する島の位置を大まかに表したものである。これを見て、世界史における島について以下の問に答えよ。
(1)この島で現在も話されるアイルランド語は、イギリス支配下時代、特にじゃがいも飢饉の影響などもあって英語に取って代わられ、話者数が激減し、現在では国策的に保護の対象となっている。この言語は、ゲルマン人よりも前にヨーロッパ大陸部に暮らしていた人々に由来する言語であることが言語学的に示されている。この民族名を答えなさい。
(2)紀元前8世紀ごろからギリシャ人の植民が始まったこの島は、ギリシャの植民市として複数の街が栄え、特にシラクサなどが知られている。最も有名なシラクサ出身の人物の1人が、てこの原理の証明や浮体の原理を発見などの功績を残し、特に浮体の原理の名にその名を残した学者である。ローマによるシラクサ包囲戦で命を落としたことでも知られる、この学者の名を答えなさい。
(3) この島は、黒人奴隷ザンジュに由来することからもわかるように、ムスリム商人の黒人奴隷貿易の舞台であり、アフリカ東海岸の海港都市の一つとして発展した。ムスリム商人はイスラームやアラビア語をこの地にもたらしたが、この過程で現地のバントゥー諸語と融合してクレオール言語が誕生した。この言語の名前を答えなさい。
(4) この島は、国内では仏教徒とヒンドゥー教徒などの宗教対立が起きた歴史もあるが、現在に至るまで隣国インドとは友好関係にあり、国民の7割が信仰する仏教も、インドから伝来したものである。この島に仏教を布教したのは、第3回仏典結集でも知られるマウリヤ朝の王である。この王の名を答えなさい。
(5)世界最大のイスラーム国家であるインドネシアの主要な島の一つであるこの島は、シャイレンドラ朝の影響などでイスラーム化が進展したが、それ以前は仏教も盛んであった。7世紀にインドからの帰路でこの島に立ち寄った義浄は、ある書物を著している。
(a) この(5)の島の名前を答えなさい。また、(b) この書物の名前を答えなさい。
(6)「一つの中国」という考えは、現在自国を中国として主張する中華人民共和国・中華民国の双方が認めるものであるが、その指し示す範囲は、概ね清代の領域に基づくものである。福建省の対岸に浮かぶこの島が中国として組み込まれたのも、清代のことであった。歴代中国王朝の支配が及ぶ前、1624年から1662年までこの島を支配していた民族の名前を答えなさい。
(7) 21世紀最初に誕生した独立国家は、2002年にインドネシア(の占領下)から独立し、国民の9割以上がキリスト教徒を占める、東ティモール民主共和国であった。この島を東西に分けるこの国境線は、植民地時代の旧宗主国とオランダが締結した条約に由来するものである。かつて東アジア貿易で覇権を握り、広大な植民地帝国を築いた、東ティモールの旧宗主国名を答えなさい。
(8) 現在西部をインドネシア、東部をパプアニューギニアが領有するニューギニア島は、かつて三国が支配していた。西部はオランダ領で、南東部はオーストラリア領であった。別の国家が支配していた北東部は、第一次大戦後に国際連盟によりオーストラリアの委任統治領、その後国際連合により信託統治領となり、東部は合わせて1975年にパプアニューギニア独立国として独立した。第一次大戦以前にこの島の北東部を支配していた国家の名前を答えなさい。
(9) 太平洋のメラネシア地域に位置するフィジーはイギリス連邦の国家であるが、フィジー系住民は人口の6割に満たない。これは、イギリスが植民地時代にサトウキビ・プランテーションのために、別のイギリス植民地から多くの移民を島に連れてきたためである。移民として流入してきた民族のうち多くを占め、現在も人口の3割以上を占めるこの民族とは何か、「〇〇系住民」の形で答えなさい。
(10) キューバ革命は、独裁政権の打倒や社会主義革命という以上に、実質的なアメリカ支配からの離脱ということを意味していた。このアメリカ支配の始まりは、アメリカが旧宗主国スペインとキューバの独立戦争に介入し、キューバを事実上保護国化するために憲法に盛り込ませた条項にある。この条項の通称を答えなさい。
補遺
第一問
ほとんど壊滅的な平均点を叩き出したであろう東大2016を意識して作った。アラブの春から早くも10年。歴史が作られていくのを目の当たりにしたことに一種の感慨もある。
ある程度の地理的な常識がなければ、イラン・シリア・アラビア半島・北アフリカの区別が付きづらいと思うが、そこは日本史選択であっても確実にしておきたいところである。アルジェリア・チュニジア・リビアやエジプトはアラブとして扱われているが、人種的にはアラビア半島のアラブ人とは異なるし、言語もアラビア語と一括りにして良いものかも疑問ではあるが、受験世界史上はベルベル人は歴史の表舞台から消えたことになっているし、アラビア語も広く一つの言語として扱われているので、深く考えなくても良いだろう。
作問の関係でオマーン・イエメンやUAE、クウェート等も含まれているが、実際問題としてそこを書ける受験者(イエメンの南北分裂等)は少なかろうし、配点を考えても、重要な要素から書いていくと字数が埋まってしまうので、書かないか、軽く触れる(英植民地であったがやがて自立した、程度)で良いだろう。また、レバノンについても(加点要素たりうるだろうが)深く触れる必要はないはずだ。政治史が問われているが、対イランと対イスラエルで揺れる対立関係を大まかに描くのに必要な部分から書けば十分だろう。
第二問
リード文が陳腐化しているのはこの場を借りてお詫び申し上げる。
(1)西ゴート王国でも改宗が行われているから、"Re"conquistaとなる。
(2)ブルガリア帝国はビザンツをも凌ぐ力を持っていた時期もある、巨大帝国であるのだが、どうも受験世界史においては登場しないので、軽く触れてみたものである。第一問同様、バルカン半島なども地理的常識が問われるかもしれないから、よく確認しておきたい。
(3)アメリカ合衆国国内の対立関係はホットな話題であるから、いずれ出題されてもおかしくないと睨んでいる。
第三問
地図問題。フィジーや東ティモールなどは地理選択に有利に傾いてしまったかもしれないが、キューバやシチリアはぜひ抑えておきたい島。突飛なアプローチではあるが、よく問題文を読めばわからないでもないレベルには整っているだろう。
コメント
久しぶりの公開となりました。↑は偉そうに色々書いていますが、結構難儀しました。色々問題案を作って、見せあって議論などしていましたのですが、互いに問題に不備があるなどと指摘しあって、何度も練り直した結果、5月の公開はなりませんでした。結果的に今回は私の単独作問になっています。ともあれ、半ば強引にではありますが6月中に公開できてひとまず良かったです。間違い等ありましたらご指摘ください。
そうそう、今回第一問や第三問のザンジバルに関係してくるのが、オマーン海洋帝国です。ポルトガル帝国とともに海上覇権を築いた大帝国で、世界で一番短い戦争・ザンジバル戦争などの興味深い事象もセットでついてくるので、ぜひ次は「オマーン海洋帝国の盛衰」とか出してみたいんですけどね、教科書に載っていないので、無理がありますかね……。
「寄す」+「ふ」+「ふ」=「よそほふ」かも?
上代語で助動詞の「ふ」というのがありまして、継続や反復を表すのですが、現代語にもその名残はあって、「語らう」とか「住まう」「向かう」なんていうのは元々「語る」「住む」「向く」に「ふ」がついてできた言葉だったんですね。
古文でよく扱われる平安時代にはすでに「ふ」が単独としては生き残っていないそうなのですが、しかし「語る」と「語らふ」の訳し分けなどで少々悩んだので、辞書を引いてみると、面白いことが色々見つかりました。
ふ(助動ハ四型)
①動作の反復の意を表す。②動作の継続の意を表す。
[接続]四段動詞の未然形に付く。
[語法](中略)四段型に活用せず、下二段型に活用した例、下二段活用に付いた例もある。下二段動詞に付いた場合、四段動詞と同様に動詞の語尾はア段の音になる。
よそふ【装ふ】(他ハ四)
①取り揃える。②飾る。③器に飲食物を盛る。
よそ-ふ【寄そふ・比ふ】(他ハ下二)
[組成]四段動詞「寄す」の未然形+上代の反復・継続の助動詞「ふ」=「よさふ」の転。一説に、「寄し添ふ」の転とも。
①ことよせる。かこつける。②たとえる。なぞらえる
よそほふ【装ふ】(他ハ四)
[組成]四段動詞「装ふ」の未然形+上代の反復・継続の助動詞「ふ」=「よそはふ」の転→よそふ(装ふ)。
(『旺文社古語辞典 第十版』)
パッと見ると、「寄す」+「ふ」=「装ふ」、「装ふ」+「ふ」=「よそほふ」かと思われるのですが、どうしてか四段の「よそふ」の方には何も書いてありません。代わりに下二段の方に書いてあるのですね。不思議。
でも、一番上の「ふ」の[語法]を参照すると、もやもやの正体がわかります(一方で、もやもやは更に深まります)。
正直このへんには全然詳しくないし我が家には比べる辞書もないので、今日は旺文社の辞書の引用を並べるに留めておきます。
↓こんなサイトも見つけました あくまで見つけたというまでですが。
追記(2021.6.26)
『角川古語大辞典』『日本国語大辞典 第二版』参照しましたが、「装ふ(よそう)」と「寄す」の関連について指摘している記述は見つかりませんでした。「寄そふ/比ふ」の方には上の旺文社古語辞典同様、何らかの関連が指摘されていました。
「もとのもくあみ」を知っていますか
知っていますか?
「もとのもくあみ」という言葉があります。自分は、特にどこで知ったということもなく、親や祖父母が使っていたために、特に意味も知らずに使っていました。概ね、「元サヤ(元の鞘に収まる)」と言った意味でしょうか*1 むしろ私は元サヤのほうが使いません。
語感の良さ
この言葉の面白いところは、なんと言っても語感の良さでしょう。
昭和じみたものでは「当たり前田のクラッカー」とか「余裕のよっちゃんイカ」なんて言い回しもありますが、「元に戻る」「元通り」程度の意味を「もとのもくあみ」と長めに語呂よく言えるのはかなり魅力的です。
実際に私は、「もとのもくあみだね」とか「もとのもくあみ、ってわけさ」なんてふうに使います。M音の頭韻が素敵です。
だからこそ、私はこの「もくあみ」には「よっちゃんイカ」よろしく特に意味がないものだと思いこんでいました。
ところが、この言葉がたまたま通じなかったとき、友人に意味を教えようとちょっと調べたら、意外なことがわかったのです。
「もくあみ」=「木阿弥」さん?
どうやら、簡単にまとめると、「木阿弥」という人物がいて、主君が死んだあと、その人が主君の子の後見かなんかで一旦は高い地位を得たものの、子の成年により元の地位に戻った、という由来らしいのです。へえ。
そんな深い意味があったとは。よっちゃんイカと並列に扱ってすみません。
***
これを知ったのが一昨年ぐらいのこと。しかし、今回ふと記事にしようと思ってもう一度調べてみると、(恐らく一昨年見たであろう)『大辞泉』とは違う記述をも発見しました。コトバンク面白いですね。
全文引用するのも気が引けるので、ぜひリンク先をご参照ください。
なんと、筒井順慶にまつわるエピソードではないという説もあるそうで。*2
「も」の頭韻によるリズムのよさで常用され、「もくあみ」の語から広がるイメージによってさまざまな説を生んだものと考えられます。
(「元の木阿弥」-『ことわざを知る辞典』, 2021/06/20閲覧)
実際に木阿弥さんがいたかどうかは知りませんが、「もとのもくあみ」という発音の面白さは特筆すべきものがあります。みなさんも時を見計らってぜひ使ってみてくださいね。
はてなブログでとりあえず縦書きしてみる
インターネット技術は進化したのに、我々は未だに文章を横書きで読む苦痛(?)を強いられています。私がはてなブログ上で無理やり縦書きをしたので、軽くご紹介します。
注意
あくまで突貫工事で、挙げ句PCやタブレットなどを何も考慮していないのですが、ご了承ください。
ブログの種類にもよると思いますが、しかし現在は8割方アクセスがスマホからということも多いでしょうし、どうしても縦書きにしたいというなら一応試してみる価値はあると思います。
設定前に
まず、レスポンシブデザインを有効にしてください。スマホで縦書きを見るためには、PCで縦書きにして、それをレスポンシブデザインにする必要があります。非対応の場合は、対応しているテーマに変えましょう。
設定しよう
基本原理
「箱を置いて、その中に縦書きを詰める」ことです。
ページ上に、大きな箱を置いて、その中に縦書きの文章を詰めていきます。
ここで定められるのは、①置く箱の高さ ②箱の中の段数 ③段間の幅です。緑で示した文章の幅は、文章量に依存している(らしい)です。
こんな感じで貼ってみよう
css
これは「デザイン」>「デザインCSS」に貼り付けます。
/*縦書き*/
.box {
text-align: center;
}
/*2000文字用*/
.exp2 {
-webkit-writing-mode: vertical-rl;
-moz-writing-mode: vertical-rl;
-ms-writing-mode: tb-rl;
-ms-writing-mode: vertical-rl;
writing-mode: vertical-rl;
column-count: 6;
column-gap: 15px;
display: inline-block;
height: 3000px;
text-align: left;
}
html
記事の編集画面で、タイトルの上に「HTML編集」というボタンがあるので、そこをクリック。自分の書いた文章が
<p>いろはにほへとちりぬるを……ゑひもせず</p>
のように書いてあると思うので、一番最初の<p>の前に
<div class="box">
<div class="exp2">
を貼り、一番最後の</p>の後に
</div>
</div>
を貼って、全体をサンドイッチしてあげると、その中に入った文章はすべて縦書きになります。
文章の幅をスマホの幅に収めるために
ここでは2000文字用である"exp2"を貼りましたが、例えばこれを10000字の文章に適用したら、横幅が長くなり、到底スマホでは見づらくなります。
計算した結果、私の場合、一段が334文字で500pxの高さなどがあると望ましいとわかりました。それにだいたい合わせて、上のexp2同様にexp3,exp4と、3000字、4000字用などを作りました。
たとえばexp2では
column-count: 6;(段の数)
height: 3000px;(全体の箱の大きさ)
となっていますが、これを334文字用ならcolumn-count1, height500にします。3000字用なら、凡そ1.5倍で、column-countは9, heightは4500とします。
これ以外のところは丸コピで、exp2という名前だけ都合の良い名前に変えます(そしてhtmlではもちろんその名前で呼び出します)。
実は↑の通りだと、段間の分だけどんどん短くなっているのですが、まあざっくりで大丈夫です。記事ごとに文字数も違うわけですし。
あとは、書いた記事の文字数に合わせてhtmlで呼び出す箱の種類を変えるだけです。簡単ですね。
注意
webフォントは基本縦書きにすると崩れやすいです。源ノ明朝は良いみたいな話を小耳にはさみましたが、未確認です。
こんな感じになります
課題
- 文字の幅が調整されない。
- PCで見づらい。
これらの課題はありますが、ひとまず縦に文章を並べたいよ! という方はどうぞ。
(追記:サンプルページです)
「話」と「話し」という致命的欠陥-2 ~積み重なる例外~
前回のあらすじ
- 「話した」がハナシタとハナシシタの両方で読めてしまう
- 連用形は、音便形(-て に接続)と基本形(-ます に接続)がある
- サ行は音便がない
名詞を作る連用形
さて、今回は「話」が名詞になる原理から話していきましょう。
実は、連用形は名詞を作る働きがあります。
「話」のほかにも、「笑い」「読み」「書き」「踊り」などがありますが、五段活用動詞(「-ない」をつづけたときに、「ない」の直前にア段が来る動詞)の連用形は、およそこのように連用形を持って名詞化し、その動作自体を表すことができます。さながらlaughがlaughingになるのと似ていますね。
なぜ「話し」ではなくて「話」なのか
ここで、疑問には思いませんか? 「笑う」「読む」「書く」「踊る」が名詞になると「笑い」「読み」「書き」「踊り」になるとき、漢字の読みは不変で、送り仮名一文字がついてきます。しかし「話す」は「話」に変わってしまいます。
じつは、この件については、理由はともかく、現象については下の記事によく書いてあります。
何事にも例外はあるのですね。「恥」「光」も送り仮名を送らないですね。確かに。
複合サ変という存在
さて、では話を替えて、「話(はなし)した」という表現の原理についても考えていきたいと思います。先程も見たように「話(はなし)」は連用形由来の名詞でした。
名詞にサ変動詞*1の「する」をつけると、複合サ変という動詞になります。例えば「論」「読書」「ランニング」に「する」をつけると、それぞれ「論ずる」「読書する」「ランニングする」になります。
そして、複合サ変の特徴としては、(基本的に)名詞と「する」の間に「を」を挟んでも良い、というのが挙げられます。「読書をする」「ランニングをする」とも言えますよね*2。
ここでは、名詞「話」に「する」をつけて、「話をする」という意味で「話する」(はなしする)となっているわけですね。なるほど。
問題発生
はい!!!! 事件です!!!!
何が事件か、おわかりいただけましたか? 現状をまとめると、
- サ行五段活用は例外的に音便がない
- 連用形で名詞化した「話」は例外的に送り仮名を送らない
- 「話する」(はなしする)という複合サ変が存在する
となっています。ここで、
- 1.により、五段活用動詞のほうは、完了形が「話した」となる。
- 2.3.により、「話+する」の複合サ変は、完了形が「話+した」=「話した」(はなしした)となる。
- ⇒完全に同形の「話した」(はなした/はなしした)が誕生!
はい。見事に例外をすり抜けて、さらにサ行とサ変が同じ行という偶然? もあったために、悲しいことに「話した」は解釈不能になってしまいました。ある意味、かなり綺麗にできている現代日本語の、バグとも言えるかもしれません。*3
もしも……
では最後に、せっかくなのでこの日本語の"バグ"に対して、ifを考えてみましょう。
- サ行五段活用は例外的に音便がない
- 連用形で名詞化した「話」は例外的に送り仮名を送らない
- 「話する」(はなしする)という複合サ変が存在する
not 1. もしもサ行に音便があったら
例えば促音便で「話した」→「*話った」などと表記していたとしたら、
五段活用:「*話った」(*はなった)、複合サ変:「話した」(はなし・した)
と、形が変わるはず。
not 2. もしも「話し」の形で名詞化していたら(=送り仮名を送っていたら)
五段活用:「話した」(はなした)、複合サ変:「*話しした」(はなし・した)
となるはず。
not 3. もしも「話」が複合サ変にならなかったら
そもそも競合相手がいないので、何も誤解はうまれません。
おまけ もしも「話す」がサ行ではなかったら
例えば「話く」(はなく)というカ行動詞だったとしたら*4、
五段活用:「*話きた」(*はなきた)、複合サ変:「話した」(*はなき・した)
と、このようにどれか一つの条件でも欠けていれば、この"バグ"は起きることはありませんでした。そう思うと、愛おしく見えてすらきます。
まとめ
「話した」が二通りに読めるのは、数々の例外の果てに残ったものなので、むしろ愛おしいということでした。
ただ、一人の書き手としては、例えばチャットなどにおいては、「は」や「を」を省略しがちですが、ハナシタと読み違えやすそうな場合は、きちんと「話をした」などと補って丁寧に書くことを心がけていきたいですね。