第三回予想問題 世界史

世 界 史

第 一 問

2021年、アラブの春と呼ばれる一連の民主化運動の発生から十年の節目を迎えた。もともと数十年にわたる長期独裁政権が支配していたこの地域では、民主化が成功した国も失敗した国も、十年経ってなお政治的・社会的混乱が続いている。イランやアラビア半島にも広がる広いイスラーム圏を考えると、いずれの地域も19世紀前半まではイスラーム帝国の支配下で安定していたが、急速に近代化・世界の一体化が進む中で、様々な勢力が進出・台頭し、抗争を繰り広げた結果、現在の国境線が形成されてきた。
以上のことを踏まえて、19世紀中葉から20世紀後半までの、トルコ以北とアフガニスタンを除く西アジア諸国と、アルジェリア以東の北アフリカ地中海岸諸国(下の地図-1の範囲)の歴史を、支配者層の変遷と、各国間の対立関係に注目して概観しなさい。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述しなさい。その際、下の8つの語句を必ず一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

第四共和政  ホメイニ  サダト暗殺  キレナイカ
シャルル10世 FLN(民族解放戦線)   白色革命  アラブ連合

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地図-1

第 二 問

古来、支配民族と被支配民族は、その民族の差が原因で対立を繰り返してきた。その中で安定した支配の構築のために、対立を避けて同化したり、ある程度の自治を認めたりする動きも見られた。歴史上の支配民族と被支配民族の関係性について、次の(1)〜(3)の問に答えなさい。

(1)ヨーロッパの成立過程においては、様々な民族の侵入や支配が繰り返されたが、支配側と被支配側の人々の宗教や文化の違いによって、支配は必ずしも安定したものとは限らなかった。ヨーロッパの成立過程における、支配民族と被支配民族の関係について、以下の(a)、(b)の問に答えなさい。

(a)4世紀後半に移動を開始した西ゴート族が立てた西ゴート王国は、6世紀にはイベリア半島の国家となっていた。このころ、西ゴート王レカルド1世は、アタナシウス派への改宗を行い、都トレドはイベリア半島キリスト教文化の中心地として発展する。この改宗の目的として考えられるところを、支配民族と被支配民族の関係性に着目して2行以内で答えなさい。

(b)英仏海峡で大陸部から隔てられた大ブリテン島は、その立地によりナポレオンやヒトラーによる征服を受けていない。しかし中世以前のイングランドは、海を超えてきた異民族により度々襲来を受けている。8世紀から11世紀にかけての、イングランドが征服されるまでの過程を2行以内で述べなさい。

 

(2)バルカン半島のスラブ人はおよそ東ローマ帝国オスマン帝国により長期的な支配を受けていたが、その中でもブルガリアは、数度に渡り自立を宣言し、時に広大な領域を誇った。しかし現在はスラブ国家であるブルガリアは、もとを辿ればトルコ系遊牧民ブルガール人が侵入し、現地のスラブ人と同化したものであった。ブルガリアについて、以下の(a)〜(c)の問に答えなさい。

(a)第一次ブルガリア帝国は、侵入したブルガール人が東ローマ皇帝と和平を結んだことで成立し、681年から1018年まで存在したが、のちに東ローマ帝国に再征服された。領域内にキリスト教徒をも多く抱えるようになったブルガリアは、シメオン1世の時代に皇帝を自称しはじめた。第一次ブルガリア帝国で発明されたものとして名高いのがキリル文字である。この時代にブルガリアキリル文字が発明された目的と、キリル文字の広がりについて、2行以内で述べなさい。

(b)12世紀に東ローマ帝国が衰退すると、ブルガリア王アセン1世は再び独立して、第二次ブルガリア王国を建国した。この王国はやがてモンゴルの圧迫で衰退し、バルカン半島に進出してきたオスマン帝国に敗退すると、東ローマ帝国より早くに滅亡し、以後数百年に渡り支配下に入ることになる。しかし独立から間もない13世紀初頭には、ラテン帝国に勝利を収め、バルカン半島で最有力となっていた。このラテン帝国の成立の経緯について、1200年以降の範囲で、2行以内で答えなさい。

(c)青年トルコ革命に乗じて独立を宣言した第三次ブルガリア王国は、第二次バルカン戦争や第一次大戦の敗戦で領土を縮小した。また、第二次大戦で枢軸国側につくと、ソ連の侵入後、パルチザン社会主義勢力が権力を掌握し、やがて王政は廃止された。
第一次大戦で敗戦した際、ブルガリアギリシアユーゴスラビアへ領土移譲を約束した講和条約の名前を答えなさい。

 

(3)アメリカ合衆国は、その成立過程から、旧宗主国と旧植民地、先住民と白人と黒人、そして移民など、複雑な関係を内包している。アメリカ合衆国における対立の歴史について、以下の(a)〜(c)の問に答えなさい。

(a)中立を表明していたはずのイギリスが米仏間の貿易妨害したことで、1812年米英戦争が開戦した。旧宗主国との戦争はアメリカの国民意識を高揚させ、またイギリス製品の輸入停止によりアメリカの経済的自立と産業革命を促したが、この戦争はアメリカ以外の地域にも大きな影響を及ぼした。米英戦争がインドにおけるイギリス支配に及ぼした影響について、2行以内で述べなさい。

(b)米英戦争の英雄から大統領に就任したジャクソンは、初の西部出身の大統領であり、ジャクソニアン=デモクラシーとしても知られる民主的な政策で民主主義を進展させたが、一方で先住民には苛烈な扱いをした。1830年に定められた、西部開拓のためのこの法律の名前を答えなさい。

(c)アメリカ最大の内戦である南北戦争は、南北の主導権争いがきっかけで勃発したといえる。共和党のリンカンが合衆国大統領に当選した後に11州が独立してアメリカ連合国と名乗ったことが、最終的には開戦に繋がった。南北戦争勃発の背景について、南部と北部の立場の違いを踏まえて3行以内で述べなさい。

 

第 三 問

島は、地理的に隔てられた立地のために、大陸とは異なる独自の文化を発達させた。また、島はときに海上交易の要所として機能し、交易のために集まる人やものの影響で文化の融合が生じることもあったほか、逆に島の文化が他の地域に影響を与えることもあった。
次に示した地図-2の(1)〜(10)は、それぞれ下の設問(1)〜(10)に対応する島の位置を大まかに表したものである。これを見て、世界史における島について以下の問に答えよ。

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地図-2

(1)この島で現在も話されるアイルランド語は、イギリス支配下時代、特にじゃがいも飢饉の影響などもあって英語に取って代わられ、話者数が激減し、現在では国策的に保護の対象となっている。この言語は、ゲルマン人よりも前にヨーロッパ大陸部に暮らしていた人々に由来する言語であることが言語学的に示されている。この民族名を答えなさい。

(2)紀元前8世紀ごろからギリシャ人の植民が始まったこの島は、ギリシャの植民市として複数の街が栄え、特にシラクサなどが知られている。最も有名なシラクサ出身の人物の1人が、てこの原理の証明や浮体の原理を発見などの功績を残し、特に浮体の原理の名にその名を残した学者である。ローマによるシラクサ包囲戦で命を落としたことでも知られる、この学者の名を答えなさい。

(3) この島は、黒人奴隷ザンジュに由来することからもわかるように、ムスリム商人の黒人奴隷貿易の舞台であり、アフリカ東海岸の海港都市の一つとして発展した。ムスリム商人はイスラームアラビア語をこの地にもたらしたが、この過程で現地のバントゥー諸語と融合してクレオール言語が誕生した。この言語の名前を答えなさい。

(4) この島は、国内では仏教徒ヒンドゥー教徒などの宗教対立が起きた歴史もあるが、現在に至るまで隣国インドとは友好関係にあり、国民の7割が信仰する仏教も、インドから伝来したものである。この島に仏教を布教したのは、第3回仏典結集でも知られるマウリヤ朝の王である。この王の名を答えなさい。

(5)世界最大のイスラーム国家であるインドネシアの主要な島の一つであるこの島は、シャイレンドラ朝の影響などでイスラーム化が進展したが、それ以前は仏教も盛んであった。7世紀にインドからの帰路でこの島に立ち寄った義浄は、ある書物を著している。

(a) この(5)の島の名前を答えなさい。また、(b) この書物の名前を答えなさい。

(6)「一つの中国」という考えは、現在自国を中国として主張する中華人民共和国中華民国の双方が認めるものであるが、その指し示す範囲は、概ね清代の領域に基づくものである。福建省の対岸に浮かぶこの島が中国として組み込まれたのも、清代のことであった。歴代中国王朝の支配が及ぶ前、1624年から1662年までこの島を支配していた民族の名前を答えなさい。

(7) 21世紀最初に誕生した独立国家は、2002年にインドネシア(の占領下)から独立し、国民の9割以上がキリスト教徒を占める、東ティモール民主共和国であった。この島を東西に分けるこの国境線は、植民地時代の旧宗主国とオランダが締結した条約に由来するものである。かつて東アジア貿易で覇権を握り、広大な植民地帝国を築いた、東ティモール旧宗主国名を答えなさい。

(8) 現在西部をインドネシア、東部をパプアニューギニアが領有するニューギニア島は、かつて三国が支配していた。西部はオランダ領で、南東部はオーストラリア領であった。別の国家が支配していた北東部は、第一次大戦後に国際連盟によりオーストラリアの委任統治領、その後国際連合により信託統治領となり、東部は合わせて1975年にパプアニューギニア独立国として独立した。第一次大戦以前にこの島の北東部を支配していた国家の名前を答えなさい。

(9) 太平洋のメラネシア地域に位置するフィジーイギリス連邦の国家であるが、フィジー系住民は人口の6割に満たない。これは、イギリスが植民地時代にサトウキビ・プランテーションのために、別のイギリス植民地から多くの移民を島に連れてきたためである。移民として流入してきた民族のうち多くを占め、現在も人口の3割以上を占めるこの民族とは何か、「〇〇系住民」の形で答えなさい。

(10) キューバ革命は、独裁政権の打倒や社会主義革命という以上に、実質的なアメリカ支配からの離脱ということを意味していた。このアメリカ支配の始まりは、アメリカが旧宗主国スペインとキューバ独立戦争に介入し、キューバを事実上保護国化するために憲法に盛り込ませた条項にある。この条項の通称を答えなさい。

補遺

第一問

ほとんど壊滅的な平均点を叩き出したであろう東大2016を意識して作った。アラブの春から早くも10年。歴史が作られていくのを目の当たりにしたことに一種の感慨もある。

ある程度の地理的な常識がなければ、イラン・シリア・アラビア半島北アフリカの区別が付きづらいと思うが、そこは日本史選択であっても確実にしておきたいところである。アルジェリアチュニジアリビアやエジプトはアラブとして扱われているが、人種的にはアラビア半島のアラブ人とは異なるし、言語もアラビア語と一括りにして良いものかも疑問ではあるが、受験世界史上はベルベル人は歴史の表舞台から消えたことになっているし、アラビア語も広く一つの言語として扱われているので、深く考えなくても良いだろう。

作問の関係でオマーン・イエメンやUAEクウェート等も含まれているが、実際問題としてそこを書ける受験者(イエメンの南北分裂等)は少なかろうし、配点を考えても、重要な要素から書いていくと字数が埋まってしまうので、書かないか、軽く触れる(英植民地であったがやがて自立した、程度)で良いだろう。また、レバノンについても(加点要素たりうるだろうが)深く触れる必要はないはずだ。政治史が問われているが、対イランと対イスラエルで揺れる対立関係を大まかに描くのに必要な部分から書けば十分だろう。

第二問

リード文が陳腐化しているのはこの場を借りてお詫び申し上げる。

(1)西ゴート王国でも改宗が行われているから、"Re"conquistaとなる。

(2)ブルガリア帝国ビザンツをも凌ぐ力を持っていた時期もある、巨大帝国であるのだが、どうも受験世界史においては登場しないので、軽く触れてみたものである。第一問同様、バルカン半島なども地理的常識が問われるかもしれないから、よく確認しておきたい。

(3)アメリカ合衆国国内の対立関係はホットな話題であるから、いずれ出題されてもおかしくないと睨んでいる。

第三問

地図問題。フィジー東ティモールなどは地理選択に有利に傾いてしまったかもしれないが、キューバシチリアはぜひ抑えておきたい島。突飛なアプローチではあるが、よく問題文を読めばわからないでもないレベルには整っているだろう。

コメント

久しぶりの公開となりました。↑は偉そうに色々書いていますが、結構難儀しました。色々問題案を作って、見せあって議論などしていましたのですが、互いに問題に不備があるなどと指摘しあって、何度も練り直した結果、5月の公開はなりませんでした。結果的に今回は私の単独作問になっています。ともあれ、半ば強引にではありますが6月中に公開できてひとまず良かったです。間違い等ありましたらご指摘ください。

そうそう、今回第一問や第三問のザンジバルに関係してくるのが、オマーン海洋帝国です。ポルトガル帝国とともに海上覇権を築いた大帝国で、世界で一番短い戦争・ザンジバル戦争などの興味深い事象もセットでついてくるので、ぜひ次は「オマーン海洋帝国の盛衰」とか出してみたいんですけどね、教科書に載っていないので、無理がありますかね……。