「話」と「話し」という致命的欠陥-1 ~便利な音便形~

「話した」

これ、なんと読みますか? ハナシタ、でしょうか? ハナシシタ、と読んだ人もいるかもしれません。

実は両方とも正解です。文脈がないので、未だどちらかわかりません。

たとえば「昨日の件について先生に話した」ならハナシタですし、くだけた言い方ですが「先生に昨日の話した」なら「昨日の話をした」という意味で、ハナシシタが正しくなります。では、これならどうでしょうか。

「そんな話したっけ?」

ハナシタで読むと、そんなに会話したっけ? と程度の意味になります。ハナシシタで読むと、そのような話をしたっけ? となりますね。

まあこれは「そんな」の特殊さによって支えられている文でもあるのですが、しかしチャットなどのくだけた文面で、意味を明確に通そうとする時、「話した」はかなり厄介な存在です。

実はこのようなバグが起きるのはほとんど「話した」くらいのものです。ある意味、日本語のバグと言っても良いかもしれません。その原因について探っていきましょう。

便利な音便形

現代日本語って実はかなりうまくできていて、その一つに音便が上げられます。

「読む」「書く」「切る」などの動詞に「-て」を続けるとき、「読んで」「書いて」「切って」とンやイ、ッが出てくるのが音便です。本来は「読みて」「書きて」「切りて」となっていたところが、時代が下るにつれ発音の便宜をとって変化してきました。

しかしこの動詞の音便は、実はただ発音がしやすいという以上に良さがありまして、それは従来型の連用形(以降は基本形と呼びましょう)「読み」「書き」「切り」と区別できるという点です。

音便形に接続するのが「て」「た」「たり」*1など、普通の連用形に接続するのが「たい」「ます」「そうだ(様態)」などで、ほかに基本形は連用中止法*2や複合動詞の前項*3で現れます。

誤解を招くかもしれませんが、すごく感覚的な表現をすると、基本形は印欧語でいうところの不定詞で、時制も相も*4態も*5、それらを表す表現が後ろに続きません。一方、時制などの表現が付随するときは音便形になると思って差し支えないでしょう(接続助詞の「て」については現在連用中止法などのような使われ方もしますが、出自は完了の「つ」なのです。同様に並列の「たり」も元は完了の「たり」から来ています)。

サ行と音便

さて、音便形が便利なのがおわかりいただけたところで、本題に入っていきます。こんなに便利な音便形なのに、実はサ行は音便が発生しません。これは唯一の例外です。

なぜ音便が起こらないのか、という話題は論文一本書けてしまうのでここでは割愛。*6

ですから、冒頭で示した「話す」は、基本形を使えば連用中止法で「話し、」となりますが、音便形を使っても「話して」となってしまいます。

一見大したことのないように見えるこの一致ですが、これが「話」と「話し」にまつわる大変な事態を巻き起こしてしまうのです……

 

(文章も長くなったので次回に続きます)

*1:並列の「たり」

*2:「酒を飲み、つまみを食う」など、読点を後ろに続けられる場合のことで、文を一旦切る働きがあります。

*3:「書き損じる」「歩き回る」の「書き」や「歩き」

*4:進行・完了など

*5:能動・使役・受動・使役受動など

*6:いくつも論文があり、私も少しずつ暇を見つけて読んでいるような状況ですので。例えばサ行音がもともと使役的な性質を帯びているから云々という話などを見ました。なお、サ行でも方言や特定の言葉によってはイ音便を生じることもあるそうです