「取り付く島(✕暇)もない」はアクセントが原因ではないか

ふと思いついたのでメモしておきます。

「取り付く島もない」という言葉は読者諸賢ならご存知の通りよく「取り付くもない」と誤用されます。以前の記事でも書いたように私は誤用々々と騒ぎたくないのですが、歴史的正当性は「島」に軍配が上がります。

シとヒが混同されやすいから?

さて、これはなぜ「暇」と誤解されるようになったのか。意味にまつわる話を置いておくと、一つには、日本語において「シ」と「ヒ」が本来混同されやすいからというのがあります。私や私の親は東京方言を話すのですが、「消費者庁」や「東広島」「白鬚橋」ではほぼ必ずシとヒが混在します。これは東京方言の特徴でありますが、他地域でも散見される現象のようです。この詳細は別の機会に。

アクセントの問題?

そしてもう一つ思いついたのですが、アクセントの問題が考えられます。

アクセントを表すと、島:シマ\ 暇:ヒマ ̄ となります。(\は音の下がり目)

これは何を意味するかというと、単体では同じ発音ですが、後ろに「が」などの言葉が続いたとき、「島」なら「が」が低い音、「暇」なら「が」が高い音で発音されるということです。「島」のようなタイプを尾高、「暇」のタイプを平板と呼びます。

別の例では、「橋」が尾高、「端」が平板です。試しに「ハシ(橋・端)を通ってください」という文章を読んで見ればわかるでしょう。

ここで「取り付く島もない」のアクセントを書いてみると、あくまで成句でなく文章として読めば、

トリツ\ク シマ\モ ナイ\

となるはずです。

↓のサイトでもこう発音されています。

ja.forvo.com

※以下は[要出典]です。メモ書きなので。

一方で、どんどん慣用句として一体化が進むと、複合名詞のように中高化する傾向があるように思います。イメージとしては「イチゴ、ミルク」というときと、「イチゴミルク」というときの差のようなものです。

すると、

トリツク ̄ シマ\モ ナイ\

トリツク ̄ シマモ ̄ ナイ\

のように、平板化が進みます。上の例ではまだ「島」が尾高ですが、下のように「島」が平板化になってしまうこともあるのではないでしょうか(実際には私は下で発音することもあります)。

すると、シマ ̄という言葉は共通語では存在しませんから、発音の類推から「暇」と誤解されるようになった——のではないでしょうか。

……こんなことを思いついたのでメモしておきます。