第二回予想問題 世界史

H橋大学型。作問はY君と共同です。

世界史

次の文章を読み、問いに答えなさい。 

ニュルンベルクのゲルマン国立博物館には、16世紀の画家アルブレヒト・デューラーの作品《二皇帝像》が残されています。
この一対の皇帝像が何のために制作されたのかについては、額縁の周囲に記された銘分が大きな手がかりを与えてくれます。《A》には、「こは<A>帝の似姿にして、帝はローマ国をドイツ人の統治下に置き給えり。その帝冠と衣装は高く尊崇せられ、ニュルンベルクにて毎年他の宝器と共に展示す」とありAが神聖ローマ帝国の理念上の源流であることが示唆されています。一方《B》には、「こは<B>帝の像なり。帝はわが市に特別の恩恵を傾け、毎年展観さるる多くの宝器をもたらし給う。時に1424年のことなりき」とあるのです。宝器とは神聖ローマ皇帝の正当性を権威づける三種の神器の一つのことです。このいわゆる<帝国宝物>を安全に保管するという重要な役割によって、ニュルンベルク市は帝国の重要な都市となったのです。このことに感謝してこの二皇帝像が描かれたと推測されます。

(画像略、補遺中にリンク有)

問い Bの時代の帝国はAの時代と比べ重心を東に大きく移動し始めた頃であった。AとBの時代それぞれの帝国の社会、政治、文化、宗教を比較し、変化のきっかけを踏まえ論ぜよ。(400字以内)

 

次の文章を読んで、問いに答えなさい。

ヨーロッパを語る上で、1948年は重要な年である。3月10日、チェコスロバキア共和国の外相で、初代大統領の息子であったヤン・マサリクが、外務省の中庭、浴室の窓の下でパジャマ姿の転落死体となって発見された。公式発表では自殺とされたが、当時誕生したばかりの政権(ヤン・マサリクが外相を務めた政権)か、ソビエト連邦のNKGBに殺害された説も根強い。マサリクの死は「第三次プラハ窓外放出事件」と呼ばれることもある。2004年にプラハ警察が公開した調査結果ではマサリクが窓から突き落とされて殺害されたとした。

ユーゴスラヴィア連邦共和国は前年に結成されたコミンフォルムの主要メンバーとなり、本部も首都ベオグラードに置かれていたが、次第にティトーの独自路線がソ連共産党と対立するようになり、はやくも民族主義的偏向があるとしてこの年6月のコミンフォルム第2回大会で除名された。その実情としては、独自路線を取る彼が、スターリンからしてみれば許しがたかったのだろう。翌年には「人殺しとスパイに支配されるユーゴスラヴィア共産党」とユーゴスラヴィアを非難した。ソ連スターリンの絶対的権威のもと、「ティトー主義者」は他の共産党でも摘発され、追放された。

 

問い 下線部の二つの地域の戦後史は激動のもので、特に下線部①の地域で1968年に起きた事件は、ヨーロッパのみならず世界中に衝撃をもって受け止められた。両地域に存在した連邦国家は、いずれも20世紀末までにはほぼ解体されていると言える。

このことを踏まえて、両地域に存在した連邦国家の政治体制と、その解体の過程について、1968年の出来事にも触れつつ、政治や外交、国家体制の面から比較して説明しなさい。ただし、コソヴォ地域については述べなくても良い。(400字以内)

 

中国と朝鮮は隣国であり、互いに政治・経済・文化的に影響を受け合っている。現在韓国と北朝鮮で使われているハングルは、15世紀にセジョンの命で作られた訓民正音の名で公布されたものを改称したものである。しかし当時は正字とされず、民間の女性が使用しており公用文として用いられるようになったのは19世紀末であった。
新羅、高麗、そして16ー17世紀ごろの朝鮮と19ー20世紀の朝鮮の対中対外関係と支配体制を比較しなさい。(400字以内)

 

補遺

Ⅰ・ⅢはY君作成。Ⅱは私が作成。

Ⅰ:前提として、Aがカール大帝、Bがジギスムント帝である。なお、『二皇帝像』は下の記事中を参照。

www.musey.net

(Y君より)一橋大学教授の阿部謹也氏のハーメルの笛吹き男という本を読んで思いついた問題です。皇帝に対するヒントはかなり与えているのですが長い期間を空いての比較なので書きにくかったかもしれません。


Ⅱ:プラハでは窓に近づきすぎないほうが良さそうだ。それはともかく、1948年に入れ替わるようにしてコミンフォルムを出入りした両国は不思議と共通点が散見されるのが面白い。しかし連邦解体は「ビロード離婚」と悲惨な内戦とで大きく異なっている。

Ⅲ:ハングルの普及には、対中対外関係やパラダイムの変化が大きく影響しただろうと思われる。

(Y君より)韓国における漢字廃止政策について調べていたので作問のお題としてハングルを置きました。中国を意識して欲しいという意図が強いですね、17世紀以前の朝鮮半島の問題は少ないので穴場かもしれないと思い比較問題の形をとりました。