アンソロジーを読め

*卒業前、最後に書いた図書だよりの原稿です。

 

読書家は恒に読むべき本が多すぎるし、普段本に触れない人はいつだって本を読まないだろう。乃ち、人類にゆっくりと本を読む時間などは無いのである。

斯くして腰を据えて本を読めない少年少女諸君に、私から言い遺せるのは、ずばり、「アンソロジーを読め!」だ。高校三年生、学校活動には与しないものの、仮にも最高学年として後輩諸君に責任を負う私が、実名を以て述べるのだから、この発言は重大である。

まずアンソロジーとは何か確認しよう。古典ギリシア語のἀνθολογία(羅字転記:anthologia)に由来する単語で、古代ギリシア警句集を指していたという。それで、一般に同ジャンルで様々な作品を寄せ集めたものをアンソロジーと呼ぶようになったそうだ。譬えば『新約聖書』『万葉集』がそうで、歳時記や六法全書もアンソロジーの一種と言えるだろうか。まあ六法全書を推薦する文章ではないから、ここでは文学のアンソロジーに絞って述べよう。文学では、一般的に違う作家の文章の寄せ集めをアンソロジーといい、同一作家のそれは短編集と呼ばれている。アンソロジーの良いところはまさにここで、「何人もの作家に出会える」そして「短い」さらに「選りすぐり」という点だ。

 

一、短い

知っているだろうか、読書家を自称する人の部屋は、床の半分が本で敷き詰められている。本棚が満杯で、文字通りの「積ん読」になってしまうのだ。ちなみに筆者の積ん読は数えたところ四十冊以上だった。……はい。

一方で、本を読まない人の家に教科書以外の本は少ないだろうし、本を読む習慣も無い。どちらの人にとっても、この状態からいきなり知らない作家の長編小説をすぐ読もうという気にはならないだろう。一日で読みきれない本は、読書の習慣がなければ読み始めても必ず読み終われない。読書家の場合は読み切れるだろうが、ただし読む順番が暫定四十位になることは少なくない。

では、どうするか。短いものを読むに限る。一晩ふと思いたったときに短編を一気に読み終える、ということを数回繰り返せば必ず読み終わる。読書家にしたって読み始めのハードルが下がる(積ん読の罪悪感から、読了に時間を要するものは気がひけるのだ)。

バラエティも多彩で飽きない、一回こっきりの短編はまさに本の読めない人には最適だ。

 

二、何人もの作家に出会える

私は中学時代、文学については川端康成より古い作品しか読めない病に罹っており、改心して「現代小説も読んでみよう」と本屋の新刊コーナーに足を踏み入れたとき、しかし私は誰の何を読めばいいのか、全く検討がつかなかった。そんなときに救われたのが、アンソロジーだ。

有名文庫の編集部がわざわざ依頼した作家が五人も六人も集まっているアンソロジーなら、きっと素敵な作家さんに出会える機会にも恵まれるだろう。それに、悪い言い方だが、「ハズレ」と感じる小説に出会ったとしても、何せ短編なのだから時間のロスも少なく、すぐ次の作家に移れるというのもメリットだ(長編で「ハズレ」だと思っても読むのを中断して捨てるというのはなかなか厳しいものがある)。

 

三、選りすぐり

プロの編集者が熟考して選んだ作家と作品の集成なのだから、それは結構な作品が入っているに違いない。少なくとも大ハズレ、といった心配はないだろう。普段本を読まない人でも——そういう人は本誌も読まないだろうか——面白いと思える作品に出会えるはず。

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さてそろそろお薦めの一冊を教えてくれ、という声が聞こえてきそうなものだが、アンソロジーはぜひ選ぶところから始めてみてほしい(筆者の私もそんなに詳しくないので毎度楽しみながら本屋で選書している)。

そのとき意識すると良いことは、まず、〈テーマを選ぶ〉こと。アンソロジーにはテーマがあることが多い。「部活」「恋愛」「家族」などとジャンルが共通であったり、「主人公が少年」とか「テーマが犬」などと共通していたり、さらにきつい縛りだと「舞台設定が同じ」ということまであるとか。

未読の本で恐縮だが、調べていたら面白いのがあった。『蝦蟇倉(がまくら)市事件』という東京創元社の本は、伊坂幸太郎道尾秀介ら十一人の競作だが、この蝦蟇倉という街が舞台で共通しているのだそう。あらすじだけでワクワクしてくる。他にも、伊坂幸太郎の繋がりで言えば、やや特殊だが、PHPの『Happy Box』という本は、「幸」の一字が入る作家だけが集まって書いたのだとか。こういうちょっとした気の利かせ方が粋である。

第二に、〈とりあえず買う〉こと。短編集で、しかも複数の作家が書いているのだから、立ち読みしてもしょうがない。ネットでジャケ買いも良し(保護者の方の許可をとりましょう)、書店で運命的な出会いをするも良し。迷っている暇があったら一作品読み終われます。買いましょう。読み始めるのに迷うのは『失われた時を求めて』くらいで十分である。アンソロジーは短いので、安心して読みはじめるべし。

さてだらだらと書いてきたが、とにかくこの記事はタイトルが全てである。皆様の読書生活に幸あれ。