第一回予想問題 世界史

Y君と共同で作問してみました。誤りやご意見などあればお教えください。

世 界 史

 第 一 問

近代に入り、世界経済の一体化が急速に進展すると、「覇権国家」と呼ばれる、特に世界経済に大きな影響を持つ大国が出現した。覇権国家は、主に15世紀のスペイン、17世紀のオランダ、18世紀からのイギリス、そして20世紀のアメリカ合衆国が挙げられ、いずれの国家も世界各地の人やものの動きに様々な形で干渉して影響力を保持したが、その形態は技術の発展や政治体制の差などによって、それぞれ異なるものであった。

以上のことを踏まえて、17世紀のオランダと18世紀のイギリスの覇権について、繁栄に至るまでの過程を説明し、その背景と獲得した覇権の形を、政治・経済・社会の面から比較せよ。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述しなさい。その際、下の8つの語句を必ず一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

 

グロティウス  奴隷     名誉革命      ユダヤ     クロムウェル

アンボイナ事件 東インド会社 オラニエ公ウィレム

 

第 二 問

古代より、世界の一体化には、海上・陸上交通の発展が不可欠であった。交通の発展と、それが政治や文化、社会にもたらした影響について、以下の3つの問いに答えなさい。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(3)の番号を付して答えなさい。

(1)中国統一には運河の発展が深く関わっている。古くはのちに始皇帝と称される秦王政が黄土高原に渭水から導水した鄭国渠などが知られている。隋代になると、文帝・煬帝の建設で、南北を結ぶ大運河が完成した。これに関する以下の(a)・(b)・(c)の問いに、冒頭に(a)・(b)・(c)と付して答えなさい。

(a)隋代に江南と洛陽を結んだことで食料の安定的供給が実現されたが、江南開発が大進展したのは南北朝時代のことである。南朝で江南開発が進展した理由について、政治・社会・環境の面から3行以内で説明しなさい。

(b)煬帝は、江南のみならず、華北へも運河を建設したが、これはある国との戦争準備が念頭に置かれていた。その国家名と、戦争に運河が必要だった理由を、合わせて1行以内で説明しなさい。

(c)運河の結節点として繁栄していた開封に都を置いた北宋だが、1126年に開封を占領され、翌年には滅亡に追い込まれている。この事件について、2行以内で説明しなさい。

 

(2)モンゴルは、三本の東西交易路の大半を支配下に入れると、駅伝制などを整備し、東西交易を活発にした。この時代には、多くの人やモノに加え、無形のものも伝播した。これに関する以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)と付して答えなさい。

(a)モンゴル統治下で東西交流が活発化したことを、パクス=ロマーナになぞらえて「タタールの平和」と呼ぶことがある。この時代に元を訪れたヨーロッパ人とその事績について、2行以内で説明しなさい。

(b)ロシアではモンゴル系民族が優位にあった時代を「タタールのくびき」と呼んでいる。モンゴルのロシア支配の過程について、2行以内で説明しなさい。

 

(3)2007年、台湾島東部を南北に結ぶ、いわゆる台湾新幹線が開業したが、車両など一部に日本製の技術が用いられている。1950年代以降の日本と台湾の関係について、2行以内で説明しなさい。

 

 第 三 問

歴史上、異なる民族の出会いは、時に衝突を産んだ一方で、一方がもう一方の文化を吸収したり、または文化同士が融合したりして、新しい文化を生み出すこともあった。また、異文化との出会いがきっかけで、民族主義が高揚する事例も少なくなかった。このことに関連する以下の設問(1)~(10)に答えなさい。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して記しなさい。

(1)イラン高原に居住する民族は現在ではイラン人と一括りにされるが、アケメネス朝ペルシアによるイランの統一以前は、分化した別の民族として扱われていた。アケメネス朝の統一的支配には、全イランの広大な領域を20の州に分け、サトラップに統治させた人物の影響が大きい。この王の名前を答えなさい。

(2)1世紀末に建国された扶南の港市オケオで、ローマ帝国の金貨が出土し、当時から東南アジアとローマとの間で、少なくとも間接的な交流があったことが明らかになっている。この金貨にはストア派の学者としての側面も知られる、ある皇帝が刻まれていた。この皇帝の名を答えなさい。 

(3)18世紀、科挙制はヨーロッパの人々に大きな衝撃を持って受け止められ、特にフランスの思想家ヴォルテール科挙を高く評価しているが、唐代の当初の科挙はあまり重視されていなかった。当時科挙とは別に父祖の位階に応じて任官される蔭位の制で勢力を伸ばしていた門閥貴族を抑えるため、ある皇帝は科挙官僚の重用を行った。この皇帝の名を答えなさい。

(4)古くから中継貿易で栄えた東南アジアでは、扶南に代わってマレー人の港市国家が貿易の中心として繁栄した。マレー人は、マラッカ海峡を管理するためにある都市を中心としてシュリーヴィジャヤ王国を建国した。この都市の名前を答えなさい。 

(5)偶像崇拝が禁じられたイスラームでは、キリスト教仏教文化圏に比べて絵画や彫刻の発達が見られなかった。一方でモスクの壁画に多く用いられたイスラーム美術の幾何学模様には東西文化の影響も指摘されており、注目すべきものがある。このイスラーム美術の名称を、カタカナで答えなさい。 

(6)マルティン・ルターの行った聖書の翻訳は、宗教改革を象徴付ける出来事である一方、自民族の言語への翻訳を行ったという点で、民族主義の高まりを示す出来事でもある。ルター以前にも聖書の翻訳を行った人物の活動は、世俗の権力と教皇に対する戦争の引き金となった。この人物は、何語から何語へと聖書を翻訳したか。〇〇語から〇〇語、の形で答えなさい。 

(7)600年続いたオスマン帝国の後半の歴史は、衰退の歴史であった。中でも特に第二次ウィーン包囲の失敗とカルロヴィッツ条約の締結はその端緒と言うべき出来事である。この条約でオスマン帝国が失った領土は、その大部分が以前のある戦いによってオスマン帝国が獲得したものだった。この戦いの名前を答えよ。 

(8)18世紀は大西洋三角貿易が盛んに行われた時代である。1719年、イギリスのデフォーは、当時盛んであった航海や植民活動を背景に書いた小説を、匿名の著者の航海記として出版した。主人公の苛酷な体験を描いた、この作品の名前を答えなさい。

 (9)統一前後のイタリアは、それ以前に諸外国に分割された領土の奪還に難儀し、そのために数多くの戦争に勝利する必要があった。分割されたイタリアの領土のうち、ウィーン会議によりヴェネツィアと共にオースリア領とされた、現在はイタリアに属する地域名を答えなさい。

 (10)ムハンマド・アリーがエジプトの実権を握ると、軍隊や経済、政治など様々な面での近代化の必要性を認識し、さまざまな改革を行った。その中で、農業の面では灌漑用水の導入とともに、ある商品作物の栽培を奨励した。この商品作物の名前を答えなさい。

 

意 図

第一問:世界史の中でイギリスの覇権は無視できない影響があり、過去問でも数度関連した出題があるが、今回はオランダとの比較という切り口にした。第二問:交通は第三問ですでに出ているが、第二問での出題も考えられるものだと思われる。(1)(2a)中国は頻出である。(2b)(3)「周辺」と言われるような地域も頻出。