第二回予想問題 世界史

H橋大学型。作問はY君と共同です。

世界史

次の文章を読み、問いに答えなさい。 

ニュルンベルクのゲルマン国立博物館には、16世紀の画家アルブレヒト・デューラーの作品《二皇帝像》が残されています。
この一対の皇帝像が何のために制作されたのかについては、額縁の周囲に記された銘分が大きな手がかりを与えてくれます。《A》には、「こは<A>帝の似姿にして、帝はローマ国をドイツ人の統治下に置き給えり。その帝冠と衣装は高く尊崇せられ、ニュルンベルクにて毎年他の宝器と共に展示す」とありAが神聖ローマ帝国の理念上の源流であることが示唆されています。一方《B》には、「こは<B>帝の像なり。帝はわが市に特別の恩恵を傾け、毎年展観さるる多くの宝器をもたらし給う。時に1424年のことなりき」とあるのです。宝器とは神聖ローマ皇帝の正当性を権威づける三種の神器の一つのことです。このいわゆる<帝国宝物>を安全に保管するという重要な役割によって、ニュルンベルク市は帝国の重要な都市となったのです。このことに感謝してこの二皇帝像が描かれたと推測されます。

(画像略、補遺中にリンク有)

問い Bの時代の帝国はAの時代と比べ重心を東に大きく移動し始めた頃であった。AとBの時代それぞれの帝国の社会、政治、文化、宗教を比較し、変化のきっかけを踏まえ論ぜよ。(400字以内)

 

次の文章を読んで、問いに答えなさい。

ヨーロッパを語る上で、1948年は重要な年である。3月10日、チェコスロバキア共和国の外相で、初代大統領の息子であったヤン・マサリクが、外務省の中庭、浴室の窓の下でパジャマ姿の転落死体となって発見された。公式発表では自殺とされたが、当時誕生したばかりの政権(ヤン・マサリクが外相を務めた政権)か、ソビエト連邦のNKGBに殺害された説も根強い。マサリクの死は「第三次プラハ窓外放出事件」と呼ばれることもある。2004年にプラハ警察が公開した調査結果ではマサリクが窓から突き落とされて殺害されたとした。

ユーゴスラヴィア連邦共和国は前年に結成されたコミンフォルムの主要メンバーとなり、本部も首都ベオグラードに置かれていたが、次第にティトーの独自路線がソ連共産党と対立するようになり、はやくも民族主義的偏向があるとしてこの年6月のコミンフォルム第2回大会で除名された。その実情としては、独自路線を取る彼が、スターリンからしてみれば許しがたかったのだろう。翌年には「人殺しとスパイに支配されるユーゴスラヴィア共産党」とユーゴスラヴィアを非難した。ソ連スターリンの絶対的権威のもと、「ティトー主義者」は他の共産党でも摘発され、追放された。

 

問い 下線部の二つの地域の戦後史は激動のもので、特に下線部①の地域で1968年に起きた事件は、ヨーロッパのみならず世界中に衝撃をもって受け止められた。両地域に存在した連邦国家は、いずれも20世紀末までにはほぼ解体されていると言える。

このことを踏まえて、両地域に存在した連邦国家の政治体制と、その解体の過程について、1968年の出来事にも触れつつ、政治や外交、国家体制の面から比較して説明しなさい。ただし、コソヴォ地域については述べなくても良い。(400字以内)

 

中国と朝鮮は隣国であり、互いに政治・経済・文化的に影響を受け合っている。現在韓国と北朝鮮で使われているハングルは、15世紀にセジョンの命で作られた訓民正音の名で公布されたものを改称したものである。しかし当時は正字とされず、民間の女性が使用しており公用文として用いられるようになったのは19世紀末であった。
新羅、高麗、そして16ー17世紀ごろの朝鮮と19ー20世紀の朝鮮の対中対外関係と支配体制を比較しなさい。(400字以内)

 

補遺

Ⅰ・ⅢはY君作成。Ⅱは私が作成。

Ⅰ:前提として、Aがカール大帝、Bがジギスムント帝である。なお、『二皇帝像』は下の記事中を参照。

www.musey.net

(Y君より)一橋大学教授の阿部謹也氏のハーメルの笛吹き男という本を読んで思いついた問題です。皇帝に対するヒントはかなり与えているのですが長い期間を空いての比較なので書きにくかったかもしれません。


Ⅱ:プラハでは窓に近づきすぎないほうが良さそうだ。それはともかく、1948年に入れ替わるようにしてコミンフォルムを出入りした両国は不思議と共通点が散見されるのが面白い。しかし連邦解体は「ビロード離婚」と悲惨な内戦とで大きく異なっている。

Ⅲ:ハングルの普及には、対中対外関係やパラダイムの変化が大きく影響しただろうと思われる。

(Y君より)韓国における漢字廃止政策について調べていたので作問のお題としてハングルを置きました。中国を意識して欲しいという意図が強いですね、17世紀以前の朝鮮半島の問題は少ないので穴場かもしれないと思い比較問題の形をとりました。

18きっぷ上野~仙台 東北本線vs常磐線

何のブログだかわからなくなってきました。こんばんは。

18きっぷシーズンですね。今は思うように旅行できない時期ですが、今年のトレンドは一人旅です。店員さん以外と一切会話をせず、近づかないで旅をしてみましょう。

青春18きっぷという、春夏冬に期間限定で発売されるきっぷは、JR全線で普通列車が1日2500円程度で乗り放題、という優れものです。皆さんも18きっぷで遠出してみませんか?

さて、2020年3月から、東京⇄仙台の鈍行ルートは、宇都宮・福島を経由する東北本線以外に、水戸・いわきを経由する常磐線という選択肢が加わりました。2011年以前も存在したルートですが、10年で両線とも運行形態が激変したので、ここで改めて両ルートを比較してみましょう。

ちなみに、なんでこんな記事を書いたかといえば、仙台を往路常磐線、復路東北本線で往復する最中に暇だったからです。はい。

 

存在するルート

東北本線

常磐線

常磐線水郡線東北本線

常磐線磐越東線東北本線

東北本線磐越東線常磐線

常磐線水戸線東北本線

東北本線水戸線常磐線

乗り鉄要素と時間の両方を考えると、現実的なものはこのくらいでしょうか。ここでは上二つの一本道ルートについて考えてみましょう。

 

所要時間

早朝5:10上野発の東北本線宇都宮行、常磐線勝田行に乗車するとすると……

東北本線:6時間57分(12:07着)

常磐線:7時間7分(12:18着)

詳細は次の通りです。

東北本線:5:10上野~6:52/58宇都宮~7:49/54黒磯~8:18/42新白河~10:32/40福島~11:14/18白石~12:07仙台

常磐線:5:11上野~6:13/37土浦~9:14/22いわき~10:44/51原ノ町~12:18仙台

 

なるほど。あまり変わらないようです。2021年春のダイヤ改正後で調べたのですが、ダイヤ改正東北本線の始発からの乗り継ぎが悪化したようです。日中時間帯ならもう少し東北本線が有利かもしれません。各自調べて見てください。調べる時は、東北本線は宇都宮~新白河常磐線原ノ町~仙台がネックになると思うので、そこの列車の時刻を先に決めてから立てていくのがおすすめです。

 

乗り換え回数

東北本線:宇都宮・黒磯・新白河・福島ではほとんど乗り換えが必要。また、郡山でも乗り換えが要求される場合も少なくない。乗り換え回数4~6回。

常磐線:水戸(or土浦or勝田)・いわき・原ノ町で乗り換えが必要。乗り換え回数3回程度。

乗り換えの手間の少なさでは常磐線ルートに軍配。ただ、気分転換に乗り換えもほしい、という人は東北本線もありかもしれません。

 

車両

基本的に巡り合う車両全てにトイレはついており、そこに差はありません。問題はボックスシートか、ロングシートか。

ボックスシートというのは窓に垂直な座席で、景色を眺めやすく、座り心地も凡そ快適です。一方、ロングシートというのは窓に並行な座席で、ラッシュアワーの詰め込みが優先されており、座り心地はまずまずです。諸説ありますが、大体こんな感じです。せっかく旅行するのだったら、ボックスシートに乗りたいものです。さて、比較してみましょう。

ボックスシート(画像は東北本線E721系

  上野~水戸 水戸~いわき いわき~原ノ町 原ノ町~仙台
常磐線 B(orG) B/R B B/R
  上野~宇都宮 宇都宮~黒磯 黒磯~新白河 新白河~仙台
東北本線 B(orG) R B B/R

B:ボックスシート有、R:オールロングシート、G:グリーン車(別途料金が必要)

 

結論から言うと、圧倒的に常磐線が有利です。全線をボックスシートで走破するのも夢ではありません。水戸~いわき間では、この地域限定運用のE501系という、鉄のようなロングシートの列車が走っており、引き当てる確率も低くはありませんが、さして長い時間ではありません。あと、空いている時間なら山側に腰掛けると、目の前に海が広がるのでロングシートも悪く有りません。

▲鋼のロングシート常磐線のE501系

一方、東北本線は宇都宮~黒磯で短時間とはいえロングシート確定ゾーンがある上に、新白河~仙台の長い時間で、約1/2のガチャを引かされますし、先述の通りこの区間に2回程度乗り換えがあることも多いので、そうするとロングシートに当たる確率はさらに上昇、しかも新白河~郡山、郡山~福島、福島~仙台のいずれもまあまあな長さがあり、結構こたえます。ただ、こちらで出会うロングシート701系は、↑のE501系より椅子が柔らかいのは不幸中の幸いです。個人の感想ですが、景色も取り立てていうことはありませんので、ロングシートで良いことは特に有りません。足伸ばせるくらい。

 

救済措置

たとえば人身事故で不通になったときや、気象災害等で無事に目的地に辿り着けなくなったときのことを考えてみましょう。もちろん新幹線などは追加料金が自腹で必要ですが、それでも帰れなくなるよりはマシ、ということもありますよね。現金は多く持ち歩きましょう。

東北本線:大宮・小山・宇都宮・那須塩原新白河・郡山・福島で新幹線という選択肢があります。また、普通列車だと、大宮以南では武蔵野川越等各路線、小山で水戸線、郡山で水郡線磐越東線に乗り換えて逃げることができます。

常磐線新幹線はありません。乗り遅れは特急である程度対処できますが本数が心もとないですし、不通になったら特急も止まるのが難点です。普通列車だと、取手以西で成田武蔵野等各路線、友部で水戸線、郡山で水郡線、いわきで磐越東線に乗り換えて逃げることができます。

比べてみると、やはり新幹線のある東北本線が強いですね。翌日に予定がある日などは東北本線を選ぶのが良いかもしれません。

 

景色

景色は、先程も言ったように海の見える常磐線をおすすめします。海は、日立~原ノ町くらいでちらちら見え隠れします。蔵王とかの山が好きなら東北本線もいいと思いますが、基本的にずっと平野を走る感じです。

常磐線から見える海

 

途中下車

途中下車は、お目当ての場所によると思いますが、適当に列車の待ち時間で暇つぶしがしたいなら、東北本線がおすすめです。郡山・福島などの大都市があるので、特に何もなくて困るようなことはありません。ご飯もありつきやすいでしょう。常磐線も見どころはたくさんあるのですが、待ち時間程度で訪問可能かはよく計画を立ててみましょう。郡山・福島は水戸・いわきでもって代えられるとは思いますが、いわき以北は少々下調べが必要かと思われます。

 

結論

  東北本線 常磐線
所要時間 6:57 7:07
乗換回数 4-6 3(-4)
車両(快適性)
救済措置
景色
途中下車

以上、上野~仙台の鈍行旅行で東北本線常磐線の2ルートを比較してみました。場面に応じて使い分けてみてくださいね。

 

アンソロジーを読め

*卒業前、最後に書いた図書だよりの原稿です。

 

読書家は恒に読むべき本が多すぎるし、普段本に触れない人はいつだって本を読まないだろう。乃ち、人類にゆっくりと本を読む時間などは無いのである。

斯くして腰を据えて本を読めない少年少女諸君に、私から言い遺せるのは、ずばり、「アンソロジーを読め!」だ。高校三年生、学校活動には与しないものの、仮にも最高学年として後輩諸君に責任を負う私が、実名を以て述べるのだから、この発言は重大である。

まずアンソロジーとは何か確認しよう。古典ギリシア語のἀνθολογία(羅字転記:anthologia)に由来する単語で、古代ギリシア警句集を指していたという。それで、一般に同ジャンルで様々な作品を寄せ集めたものをアンソロジーと呼ぶようになったそうだ。譬えば『新約聖書』『万葉集』がそうで、歳時記や六法全書もアンソロジーの一種と言えるだろうか。まあ六法全書を推薦する文章ではないから、ここでは文学のアンソロジーに絞って述べよう。文学では、一般的に違う作家の文章の寄せ集めをアンソロジーといい、同一作家のそれは短編集と呼ばれている。アンソロジーの良いところはまさにここで、「何人もの作家に出会える」そして「短い」さらに「選りすぐり」という点だ。

 

一、短い

知っているだろうか、読書家を自称する人の部屋は、床の半分が本で敷き詰められている。本棚が満杯で、文字通りの「積ん読」になってしまうのだ。ちなみに筆者の積ん読は数えたところ四十冊以上だった。……はい。

一方で、本を読まない人の家に教科書以外の本は少ないだろうし、本を読む習慣も無い。どちらの人にとっても、この状態からいきなり知らない作家の長編小説をすぐ読もうという気にはならないだろう。一日で読みきれない本は、読書の習慣がなければ読み始めても必ず読み終われない。読書家の場合は読み切れるだろうが、ただし読む順番が暫定四十位になることは少なくない。

では、どうするか。短いものを読むに限る。一晩ふと思いたったときに短編を一気に読み終える、ということを数回繰り返せば必ず読み終わる。読書家にしたって読み始めのハードルが下がる(積ん読の罪悪感から、読了に時間を要するものは気がひけるのだ)。

バラエティも多彩で飽きない、一回こっきりの短編はまさに本の読めない人には最適だ。

 

二、何人もの作家に出会える

私は中学時代、文学については川端康成より古い作品しか読めない病に罹っており、改心して「現代小説も読んでみよう」と本屋の新刊コーナーに足を踏み入れたとき、しかし私は誰の何を読めばいいのか、全く検討がつかなかった。そんなときに救われたのが、アンソロジーだ。

有名文庫の編集部がわざわざ依頼した作家が五人も六人も集まっているアンソロジーなら、きっと素敵な作家さんに出会える機会にも恵まれるだろう。それに、悪い言い方だが、「ハズレ」と感じる小説に出会ったとしても、何せ短編なのだから時間のロスも少なく、すぐ次の作家に移れるというのもメリットだ(長編で「ハズレ」だと思っても読むのを中断して捨てるというのはなかなか厳しいものがある)。

 

三、選りすぐり

プロの編集者が熟考して選んだ作家と作品の集成なのだから、それは結構な作品が入っているに違いない。少なくとも大ハズレ、といった心配はないだろう。普段本を読まない人でも——そういう人は本誌も読まないだろうか——面白いと思える作品に出会えるはず。

* * *

さてそろそろお薦めの一冊を教えてくれ、という声が聞こえてきそうなものだが、アンソロジーはぜひ選ぶところから始めてみてほしい(筆者の私もそんなに詳しくないので毎度楽しみながら本屋で選書している)。

そのとき意識すると良いことは、まず、〈テーマを選ぶ〉こと。アンソロジーにはテーマがあることが多い。「部活」「恋愛」「家族」などとジャンルが共通であったり、「主人公が少年」とか「テーマが犬」などと共通していたり、さらにきつい縛りだと「舞台設定が同じ」ということまであるとか。

未読の本で恐縮だが、調べていたら面白いのがあった。『蝦蟇倉(がまくら)市事件』という東京創元社の本は、伊坂幸太郎道尾秀介ら十一人の競作だが、この蝦蟇倉という街が舞台で共通しているのだそう。あらすじだけでワクワクしてくる。他にも、伊坂幸太郎の繋がりで言えば、やや特殊だが、PHPの『Happy Box』という本は、「幸」の一字が入る作家だけが集まって書いたのだとか。こういうちょっとした気の利かせ方が粋である。

第二に、〈とりあえず買う〉こと。短編集で、しかも複数の作家が書いているのだから、立ち読みしてもしょうがない。ネットでジャケ買いも良し(保護者の方の許可をとりましょう)、書店で運命的な出会いをするも良し。迷っている暇があったら一作品読み終われます。買いましょう。読み始めるのに迷うのは『失われた時を求めて』くらいで十分である。アンソロジーは短いので、安心して読みはじめるべし。

さてだらだらと書いてきたが、とにかくこの記事はタイトルが全てである。皆様の読書生活に幸あれ。

 

書評:なういほん

紹介する本

 

 衒った題をつけてしまった。「ナウい本」である。筆者は最近の学校の図書通信にて古典や詩歌を中心に紹介していたが、一寸ここは目先を変えて、現代文学に手を出してみようではないか。随分簡潔にはなるが、少し紹介してみよう。

 ところで、ナウい本、というのは少々皮肉的だ。「ナウい」という言葉自体が古い。あいみょんの「ナウなヤングにバカ受けするのは当たり前だのクラッ歌」を思い出した。まあ、どうでもいいのだが。それでは一冊目から。

* * *

夜は短し歩けよ乙女

作者=森見登美彦 出版=角川文庫

 題名が何の本歌取りかすぐにわかる人はなかなか教養があるか、よほど懐古趣味であろう。「ゴンドラの唄」という1915年発表の歌謡曲吉井勇作詞)の冒頭、〈命短し恋せよ乙女……〉というフレーズが題の由来である。この歌は美空ひばりちあきなおみ、シャーロット・ケイト・フォックスらにもカバーされる「名曲」なのだが、実をいうとあまり作品中には関係ない。ただ、この大正時代を彷彿とさせるような美しい曲は、作品の世界観を作るのにはもってこいだ。

 舞台は京都(京都大学付近である)、冴えない大学生の「先輩」が、意中の相手である、サークルの後輩「黒髪の乙女」に何とか振り向いてもらおうとする過程での物語だ。乙女は好奇心に溢れた人物で、「オモチロイ」(面白い)ことを探してずんずん歩いてゆくのだが、その過程で沢山の奇妙な人や事件に遭遇する……。といった話。先斗町(ぽんとちょう)の大酒飲み、若者のパンツを奪う老人、「詭弁論部」の学生、春画を集めるおじさんなどなど、愉快で様々な登場人物が作品世界を彩ってくれる。

 この作品は、強いて分類するならば娯楽的な小説であり、作中の所々にSF的、非現実的な描写が存在する(例えば、三階建ての電車、或いはあまりに都合の良い展開など)。しかし、文体へと目を移せば、打って変わってさながら戦前の純文学のようである。本書は、文体や人々の雰囲気から醸し出されるレトロさと、書いてある中身の空想性との間のギャップが面白くて、読者を惹きつける。

 もう少し文体について述べよう。そもそもこの作品は、「先輩」の常体(敬語でない)による独話と「黒髪の乙女」の敬体による独話とが交互に入れ重なって構成されている。読者は、「敬語だから乙女の喋りだな」などと納得しながら読むのだが、敬体常体の差異以上にも二人の文体は区別化されている。

 実際、「乙女」がわりかし普通の(とは言っても充分古風なのだが)言い回しをしているのに対し、特に「先輩」の語り口、漢語を多用しながら調子づいたような文体は、正に書生を見ているかのようで、面白い。書生風の言い回しそれ自体は然程珍しい話ではなく、漫画などでキャラづくりの一環として存在することもあるが、大抵は不自然さが際立って上手くいかないのが常である。然し、ここは作者の腕の見せ所。恐らく文学の素養があってのことだろう、古風な文体の割には随分読みやすく、「成る程こんなことを喋る奴も実在しそうだ」と思わせてくれる。文体の巧さから「先輩」の人間味までが醸し出されてくるのだ。

 長くなったが、このようにレトロでいて幻想的な雰囲気が、読者諸君を虜にして離さないことは間違いなしである。是非読んで見てほしい。

 ちなみに、アニメ化もされていて、なかなか魅力的な映像作品として仕上がっているのであるが、とにかく突拍子のなさと幻想性が売りのこの物語、映像を一見しただけでは文脈が摑みづらいものと思われる。できるだけこの原作を読んでからご覧になるのを薦めたい。

 続いて二冊目。

『明るい夜に出かけて』

作者=佐藤多佳子 出版=集英社文庫

 突然だが諸君はラジオを聴くだろうか。私はすっかりSNS全盛期に生まれて、何でも必要な情報はテレビどころかスマホで手に入れるのが癖である。しかし、それでも偶にラジオを聴くと、あの郷愁的な響きや柔らかい雑音に癒される心地がするものだ。是非機会があれば聴いてみてほしい(それも、インターネットではなくて、電波を拾って)のだが、本書はそのラジオリスナーの話である。

 主人公はコンビニで深夜バイトをする青年だが、SNSでのとあるトラブルが原因で、大学を休学中。自宅とコンビニを往復するくらいの日々で、周囲にも心を閉ざしていた彼の、ほぼ唯一の趣味といっていいのがラジオだった。ラジオの趣味は秘密にしていたのだが、ある日、同じ番組の有名な「ハガキ職人」(ラジオ番組中で読まれる葉書をコンスタントに投稿している人のこと)がコンビニに現れてから、彼の心や周囲に変化がもたらされる……。という話だ。

 令和のこのご時世にラジオとは、どんなにか懐古的な小説だろうと思った人も多いだろうが、案外に深夜バイト・SNSでのトラブル・動画配信サービス等々、現代的な素材が多くあって読みやすく、また共感しやすい。現代に生きる若者の、青年期特有の鬱屈とした精神が素直に描かれていて、我々若い読者の心を摑む作品だ。きっと読後にはラジオが聴きたくなるはず。

 著者の佐藤多佳子は「サマータイム」「しゃべれども しゃべれども」などで有名。タイトルは知っている、ということもあるのではないか。本書もそうだが、自然に若者の心からふっと零れてきたような言葉で書かれており、大変読みやすい。

 最後に、三冊目である。

『月魚』

作者=三浦しをん 出版=角川文庫

 物語は古本屋、それぞれ別の店を経営する古本業者の二人が主人公。語り手の真志喜は無窮堂という老舗の三代目。一方幼馴染の太一は、古本業界では嫌われ者の「せどり」の息子である。元から仲良く、兄弟のように育つ二人だが、少年の日の事件をもとに溝ができてしまう。それでもずっと近しい距離で、然し隔たりを感じながら暮らしてきた二人は、頼まれたある仕事の影響で、その関係性を見直すことになる。

 この本を薦めたい理由はいくつかある。

 先ず、特に本好きの人へ。この本は古本屋の仕事に丁寧に追っており、例えば仕入れの仕方や値段のつけ方などに作中で言及されているのが非常に興味深い。古本屋というのは、某OOKOFFのように漫画を束にして百円の値札をつけるのとは違う。どの本を仕入れるか、いくらの値段をつけるか……。その過程では様々な知識が要求され、学のない人ほど損をする商売なのだ。そこには「才能」も少し関わってくるのだが、皮肉にも、積み重ねた知識が豊富な老舗、無窮堂に対して、「新参者」に近い太一は才能に溢れていた。それが後々問題になってくるのだ。古本を中心に展開するこの物語。本好きなら読んでいて飽きないだろう。

 第二に、本書は読みやすい。現代文学の作家の中でも著名な三浦しをんである、文体に臭みがないし、高尚ぶった鼻持ちならない文体でもない。しっかりと純文学らしい見た目で、読者としては安心感を得られる。筆者も古典に傾倒していた人間だから、現代文学への不安は重々承知なのだ。それ以上に、角川の編集部は「透明な硝子の文体に包まれた濃密な感情」と裏表紙の粗筋において称賛しているように、この作品では文体が、主人公たち二人をより脆く美しいものにしている。全く作者の巧みな技であると思う。

 そして最後に。これはタイトルの「月魚」を一寸Googleで検索してみればわかるが、この小説、BL(ボーイズ・ラブ)小説としても名高い(?)のである。別に特にラブシーンがあるとかいうわけでは無いし、一回も言葉には出てこないのであるが、それでもこの二人の最も近く、然し隔たりのある関係性は、率直に言って「尊い」のである(尊い、というのは純粋に崇高であるという意味の他に、昨今は自分が好きな人やキャラクターを褒めるとき、または純愛ものやBLなどに使うことがあり、概ねは「眩しいほどに輝かしい、触れがたいほどに素晴らしい」といった意味で用いられる)。繰り返しになるが本書はBLと明言されているわけではないので、真偽のほどは不定かだが、その不定かであることすら尊く見えてくるかもしれない。文学は読み手の自由も大いにあると思うので、実際に諸君が読んでみてから判断してほしい。ちなみに、「BLっぽい」作品すべてに言えることだが、BLだと思った瞬間にそうとしか読めなくなるので、くれぐれも注意されたい。

三浦しをん本人が無類のBL好きを明言していたり、短編集「きみはポラリス」(これも良い話ずくめ)の巻頭巻末それぞれが同性愛を扱った作品だったりと、証拠は多い気もするが……。しかし、コンテクストを読むのも面白いが、先ず作品は純粋に文字だけで楽しむという方が良いだろう。

* * *

 如何だっただろうか。多数派ではないだろうが、一部「外国文学しか読まん」「古典しか読まん」「ノンフィクションしか読まん」と自分で読書に縛りを設けてしまっている人がこの学校には少なくないので、あえて新しめの文学作品というテーマで纏めてみた次第だ。ちょっとでも面白そうと思ったら読んでみよう。そういう好奇心を大切に育ててゆきたいものである。

 そういえば、この評の冒頭では「ナウい」が古臭いと述べた。逆に、ではないが、今回紹介した三冊は新しい本ながら、皆「書生」「ラジオ」「古本」と古いものが関わっていた。温故知新というか、古いものの寛容さに救われる、古いものに拠り所を求めて、居場所ができる……という姿勢がこの三冊には共通していたように思う。古いものだけ、新しいものだけでなく、やはり広く多彩な文芸に触れることで、諸君も「この本だ!」という存在に出会えるかもしれない。そんな手助けになれれば、この書評を書いた私も報われるというものである。

おまけ

 特に選んだわけではないが、第二十回、第三十回の山本周五郎賞(それぞれ「夜は…」と「明るい夜に…」)を紹介して、なかなか山本周五郎に縁のある書評になった。山本周五郎といえば「赤ひげ診療譚」などの時代小説を著したことで有名だが、文壇や文芸賞を嫌い、今に至るまで唯一直木三十五賞を辞退した人物として知られている。そんな山本周五郎に名を借りて賞を作るとはなかなか面白いではないか。また、山本は本名を清水三十六(さとむ)と言って、三十五より一だけ多いのは偶然ながら面白い事実だ。明治三十六年生まれだからついた名前だそう。一方の直木は本名を植村宗一というのだが、「植」を分解して直木、年齢に合わせて三十一、三十二と変えながらペンネームを使っていたらしい。三十三では縁起が悪いから二年後に改めたとか、三十五歳のときに諫められて変更を止めたとか、「三十六計逃げるに如かず」になりたくなかったとか、どれが正しいのかは不明だが、なかなか面白いエピソードもある。文学者のエピソードを辿ってみるのもまた一興だ。

都内合成駅名めぐり

こんばんは。地下鉄で朝から通勤通学すると鬱々としますよね。そんなときは、楽しい駅名ワールドに入ってみませんか。

 

合成駅名とは?

とりあえずここでは地名+地名の並列で出来た駅名を、仮に合成駅名と呼ぶことにしましょう。例えば、半蔵門線大江戸線清澄白河駅清澄白河という地名は存在せず、駅周辺の清澄町と白河町から名前を作っています。このような駅名は、東京では特に地下鉄で多く見られます。地下鉄に乗っている暇な時間は、ぜひ駅名を探してみましょう。

 

前後が対等な地名の合成駅名

赤羽岩淵 赤羽+岩淵町
王子神谷 王子+神谷
落合南長崎 西落合+南長崎
清澄白河 清澄町+白河町
小竹向原 小竹町+向原
白金高輪 白金+高輪
馬喰横山 馬喰町+横山町
原木中山 原木+本中山
若松河田 若松町+河田町

西落合や本中山はやや省略とも言えますが、もっともポピュラーな合成駅名ですね。余談ですが白金高輪駅はもともと「清正公前駅(せいしょうこうまえ)」になりそうだったそうです。加藤清正公を祀ったお寺が近くにあり、近隣では親しまれており、また都電の停留所名でもあったからだとか。現在では東急バスの東98系統の停留所です。

あとややこしいのが一つ。上野御徒町です。

上野御徒町 上野+御徒町(旧地名)

上野は現地名なのに、御徒町は旧地名という、なんともアンバランスな構成です。これは大江戸線の駅なので、もしかすると名付けの意図としては乗り換えを意識したものかもしれませんから、「御徒町」は旧地名でなく駅名と考えるのもありですね。

 

冠+地名の合成駅名

旧国名を足した「信濃大町」や「武蔵小金井」、「上総一ノ宮」などは他県のものと誤解しないような配慮として有名ですね。地下鉄に旧国名はありませんが、区名はあります。

余談ですが群馬県旧国名が「上野(こうずけ)」なので「上野(うえの)」との誤解を防ぐため冠するのが「群馬」になっています。群馬藤岡群馬大津・群馬総社・群馬原町・群馬八幡駅があります。厳密な意味で都道府県名が冠されているのは群馬県以外に見当たらないように思います。

現行区名を冠した合成駅名

いずれも他の駅名や地名と似ているものに冠されています。

板橋本町 板橋区+本町
中野新橋 中野区+新橋(橋の名前)
中野富士見町 中野区+富士見町
練馬春日町 練馬区春日町

中野新橋は特殊で、もともと神田川を流れる「新橋」という橋にちなんで命名されたのですが、2011年の架替えで橋自体も「中野新橋」と改称されました。駅名が普及したからでしょうか。現在では合成駅名ともいえるし、合成駅名でないとも言えます。また余談ですが、板橋本町はホンチョウと読みます。日本橋本町を始めとして、都区内では多くをホンチョウ読みしますが、渋谷区本町(幡ヶ谷本町)だけホンマチ読みだそうで。

旧区名を冠した合成駅名
牛込神楽坂 牛込区+神楽坂(地名)
牛込柳町 牛込区市谷柳町
本所吾妻橋 本所区吾妻橋(地名)

牛込区本所区など伝統ある区名が冠されています。牛込柳町に至っては本来の「市谷」という冠を外してわざわざつけています。牛込区ブランドはすごいのかも。

方角や「新~」「~前」を冠した合成駅名

多すぎるので省略。ただ、立派な合成駅名と言えそうです。

 

あと二つ……

あと二つだけ、冠でも対等地名の合算でもない合成駅名があります。それは溜池山王駅上野広小路駅

溜池山王 溜池(旧地名)+山王(日枝神社のこと)
上野広小路 上野+下谷広小路

溜池山王について。「溜池」は旧地名、山王は日枝神社のことを表します。溜池とは、もともと当地に溜め池があったことに由来し、現在もバス停や交差点の名前に残っています。かつては溜池町という地名でしたが、現在駅周辺は赤坂か永田町のどちらかに含まれています。山王は日枝神社の別称のようなもので、例大祭山王祭と言いますし、山の下の交差点を山王下といい、都電→都バスの停留所名でもあります。

駅開業に当たり、千代田区側が「山王下駅」、港区側が「溜池駅」を推したため、結局両方から取って「溜池山王」という合成駅名が爆誕したそうです。めでたしめでたし。

上野広小路のほうは、松坂屋三越前に対抗して建てた駅です。もともと下谷広小路(したやひろこうじ)があったところで、現在の中央通りになっているのですが、それに因んで命名されています。ただ、火災対策で広小路が設けられた江戸時代当時は「上野広小路」とは呼ばれていなかった、という話。ちなみに両国広小路・浅草広小路とともに江戸三大広小路に数えられるそうです。ふむふむ。

 

合成駅名っぽいけど違うやつ

実はそれっぽいのに違うのとしては、「門前仲町」や「麻布十番」も挙げられます。こちらは合成地名でないとは言い切れませんが、駅名より地名が古いです。ムズカシイ。

 

以上、長々と書いてきました。合成駅名の世界、いかがでしたか? 地下鉄車内で暇に思ったときは、少し思い出してみてください。

「新型コロナウイルス感染症」の発音について

こんばんは。最近は閑なので「コロナ罹(かか)りたくないな~」ということを考えています。

街へ出ると、「新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から……」などと、至る所で自動放送が流れています。が、どうもこの自動放送が気になる(例えば、東京メトロの駅構内の放送)。

というのも、例えば発音上の高くなる部分をカタカナ、それ以外をひらがなで表すとすると、

「しん/カ゜タ\こ/ロナウイ\るす・カンセンショウカクダイボウ\し」と言うのです。

わかりやすく言えば「新型コロナウイルス感染症拡大防止」と、まるで二語のようになっているのです。

 

そもそも、政府が定めたものでは、

病名:「新型コロナウイルス感染症」「COVID-19」

ウイルス名:「SARSコロナウイルス2」「SARS-Cov-2」

となっています。ですから、「新型コロナウイルス/感染症」(し)という二語構成の発音ではなく、「新型コロナウイルス感染症」(しん/カ゜タ\こ/ロナウイルスカンセ\んしょう)と、高い部分を続けて一語で発音するべきではないか、と第一に思うのです。

 

ただし、そうは簡単に行きません。そもそも、複合名詞だからと言って必ず一体化した発音になるとは限りません。NHK『ことばの研究』2017年1月10日より田中伊式「NHKアクセント辞典 新時代への改訂⑦ 複合名詞の発音とアクセント~『新辞典』のねらいとアクセント規則~」では、例として「行方不明」と「消息不明」が挙げられています。複合化して元のそれぞれのアクセントから変化したのが「行方不明」、もともとのアクセント通りで複合化していないのが「消息不明」とのことです。試しに「行方」「消息」「不明」と発音してみて、比べてみてください。

ですから、「新型コロナウイルス感染症」は四語構成ですし、これが必ず複合化するものだとは断言しきれません。話者ごとの、言葉としての一体感の感じ方の差などによって、「新型/コロナウイルス/感染症」「新型コロナウイルス/感染症」のように三語や二語で発音されることは、十分ありえます。実際、ニュースでも「新型コロナウイルス感染症」のように、スまでで一旦下がりきって二語として発音する例が多い気がします。

 

では、先程の「新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から……」は、何が違和感の原因なのでしょうか。おそらく、「感染症拡大防止」を複合化して発音(か/ンセンショウカクダイボウ\し)しているからです。つまり、本来は「新型コロナウイルス感染症」+「拡大防止」なはずが、実際は「新型コロナウイルス」+「感染症拡大防止」で発音されているのが気持ち悪いのです。

感染症拡大防止」がまるで一語のスローガンのように、すんなり受け入れやすい言葉であるのはわかりますが、しかし政府も定めた通り、感染症名としては「新型コロナウイルス感染症」で、正式には「新型コロナウイルス」というウイルスは存在しません(というか、呼称として正確ではありません)し、発音としては違和感があると言わざるを得ないでしょう。

 

しかし、ここでもう一つ疑問が出てきます。いくら疫学に疎いからと言っても、『感染症拡大防止』を一語認識するわけはないだろう、ということです。だって「感染症拡大防止」が一語なら、それより前の「新型コロナウイルス」が置き去りになってしまうからです。

そこで、もう一度先程のNHKの資料を読んでみます。すると、「後部要素が5拍以上の場合 基本的に後部保存型(もとの語のアクセントのまま変わらない)」と書いてあるではありませんか!

どういうことかというと、「委員会」「文化財」などの長い語が後ろにくっつく時、後ろの語のアクセント核は保持される(高く上がる部分は概ね変化しない)ということです。であれば、「感染症」(カンセンショウ)+「拡大防止」(カクダイボウ\し)で複合化させたとしても、「カンセンショウカクダイボウ\し」となり、発音が複合前と複合後で似たものになるのです。

 

これを整理すると、恐らく、「感染症拡大防止」で一語に聞こえてしまうのはイントネーションの観点からするとあり得ることで、誤解の種となっているのはあくまで「間」の取り方にあるのではないか、と言えます。「新型コロナウイルス感染症 拡大防止の観点から……」と、しっかり間を取ればこのような誤解も減ることと思います。みなさんも放送を耳にしたときはぜひ確認してみてください。

 

※意見や誤り等ありましたらお気軽にお声掛けくださると幸いです。

第一回予想問題 世界史

Y君と共同で作問してみました。誤りやご意見などあればお教えください。

世 界 史

 第 一 問

近代に入り、世界経済の一体化が急速に進展すると、「覇権国家」と呼ばれる、特に世界経済に大きな影響を持つ大国が出現した。覇権国家は、主に15世紀のスペイン、17世紀のオランダ、18世紀からのイギリス、そして20世紀のアメリカ合衆国が挙げられ、いずれの国家も世界各地の人やものの動きに様々な形で干渉して影響力を保持したが、その形態は技術の発展や政治体制の差などによって、それぞれ異なるものであった。

以上のことを踏まえて、17世紀のオランダと18世紀のイギリスの覇権について、繁栄に至るまでの過程を説明し、その背景と獲得した覇権の形を、政治・経済・社会の面から比較せよ。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述しなさい。その際、下の8つの語句を必ず一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

 

グロティウス  奴隷     名誉革命      ユダヤ     クロムウェル

アンボイナ事件 東インド会社 オラニエ公ウィレム

 

第 二 問

古代より、世界の一体化には、海上・陸上交通の発展が不可欠であった。交通の発展と、それが政治や文化、社会にもたらした影響について、以下の3つの問いに答えなさい。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(3)の番号を付して答えなさい。

(1)中国統一には運河の発展が深く関わっている。古くはのちに始皇帝と称される秦王政が黄土高原に渭水から導水した鄭国渠などが知られている。隋代になると、文帝・煬帝の建設で、南北を結ぶ大運河が完成した。これに関する以下の(a)・(b)・(c)の問いに、冒頭に(a)・(b)・(c)と付して答えなさい。

(a)隋代に江南と洛陽を結んだことで食料の安定的供給が実現されたが、江南開発が大進展したのは南北朝時代のことである。南朝で江南開発が進展した理由について、政治・社会・環境の面から3行以内で説明しなさい。

(b)煬帝は、江南のみならず、華北へも運河を建設したが、これはある国との戦争準備が念頭に置かれていた。その国家名と、戦争に運河が必要だった理由を、合わせて1行以内で説明しなさい。

(c)運河の結節点として繁栄していた開封に都を置いた北宋だが、1126年に開封を占領され、翌年には滅亡に追い込まれている。この事件について、2行以内で説明しなさい。

 

(2)モンゴルは、三本の東西交易路の大半を支配下に入れると、駅伝制などを整備し、東西交易を活発にした。この時代には、多くの人やモノに加え、無形のものも伝播した。これに関する以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)と付して答えなさい。

(a)モンゴル統治下で東西交流が活発化したことを、パクス=ロマーナになぞらえて「タタールの平和」と呼ぶことがある。この時代に元を訪れたヨーロッパ人とその事績について、2行以内で説明しなさい。

(b)ロシアではモンゴル系民族が優位にあった時代を「タタールのくびき」と呼んでいる。モンゴルのロシア支配の過程について、2行以内で説明しなさい。

 

(3)2007年、台湾島東部を南北に結ぶ、いわゆる台湾新幹線が開業したが、車両など一部に日本製の技術が用いられている。1950年代以降の日本と台湾の関係について、2行以内で説明しなさい。

 

 第 三 問

歴史上、異なる民族の出会いは、時に衝突を産んだ一方で、一方がもう一方の文化を吸収したり、または文化同士が融合したりして、新しい文化を生み出すこともあった。また、異文化との出会いがきっかけで、民族主義が高揚する事例も少なくなかった。このことに関連する以下の設問(1)~(10)に答えなさい。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して記しなさい。

(1)イラン高原に居住する民族は現在ではイラン人と一括りにされるが、アケメネス朝ペルシアによるイランの統一以前は、分化した別の民族として扱われていた。アケメネス朝の統一的支配には、全イランの広大な領域を20の州に分け、サトラップに統治させた人物の影響が大きい。この王の名前を答えなさい。

(2)1世紀末に建国された扶南の港市オケオで、ローマ帝国の金貨が出土し、当時から東南アジアとローマとの間で、少なくとも間接的な交流があったことが明らかになっている。この金貨にはストア派の学者としての側面も知られる、ある皇帝が刻まれていた。この皇帝の名を答えなさい。 

(3)18世紀、科挙制はヨーロッパの人々に大きな衝撃を持って受け止められ、特にフランスの思想家ヴォルテール科挙を高く評価しているが、唐代の当初の科挙はあまり重視されていなかった。当時科挙とは別に父祖の位階に応じて任官される蔭位の制で勢力を伸ばしていた門閥貴族を抑えるため、ある皇帝は科挙官僚の重用を行った。この皇帝の名を答えなさい。

(4)古くから中継貿易で栄えた東南アジアでは、扶南に代わってマレー人の港市国家が貿易の中心として繁栄した。マレー人は、マラッカ海峡を管理するためにある都市を中心としてシュリーヴィジャヤ王国を建国した。この都市の名前を答えなさい。 

(5)偶像崇拝が禁じられたイスラームでは、キリスト教仏教文化圏に比べて絵画や彫刻の発達が見られなかった。一方でモスクの壁画に多く用いられたイスラーム美術の幾何学模様には東西文化の影響も指摘されており、注目すべきものがある。このイスラーム美術の名称を、カタカナで答えなさい。 

(6)マルティン・ルターの行った聖書の翻訳は、宗教改革を象徴付ける出来事である一方、自民族の言語への翻訳を行ったという点で、民族主義の高まりを示す出来事でもある。ルター以前にも聖書の翻訳を行った人物の活動は、世俗の権力と教皇に対する戦争の引き金となった。この人物は、何語から何語へと聖書を翻訳したか。〇〇語から〇〇語、の形で答えなさい。 

(7)600年続いたオスマン帝国の後半の歴史は、衰退の歴史であった。中でも特に第二次ウィーン包囲の失敗とカルロヴィッツ条約の締結はその端緒と言うべき出来事である。この条約でオスマン帝国が失った領土は、その大部分が以前のある戦いによってオスマン帝国が獲得したものだった。この戦いの名前を答えよ。 

(8)18世紀は大西洋三角貿易が盛んに行われた時代である。1719年、イギリスのデフォーは、当時盛んであった航海や植民活動を背景に書いた小説を、匿名の著者の航海記として出版した。主人公の苛酷な体験を描いた、この作品の名前を答えなさい。

 (9)統一前後のイタリアは、それ以前に諸外国に分割された領土の奪還に難儀し、そのために数多くの戦争に勝利する必要があった。分割されたイタリアの領土のうち、ウィーン会議によりヴェネツィアと共にオースリア領とされた、現在はイタリアに属する地域名を答えなさい。

 (10)ムハンマド・アリーがエジプトの実権を握ると、軍隊や経済、政治など様々な面での近代化の必要性を認識し、さまざまな改革を行った。その中で、農業の面では灌漑用水の導入とともに、ある商品作物の栽培を奨励した。この商品作物の名前を答えなさい。

 

意 図

第一問:世界史の中でイギリスの覇権は無視できない影響があり、過去問でも数度関連した出題があるが、今回はオランダとの比較という切り口にした。第二問:交通は第三問ですでに出ているが、第二問での出題も考えられるものだと思われる。(1)(2a)中国は頻出である。(2b)(3)「周辺」と言われるような地域も頻出。